名和顕興(読み)なわ・あきおき

朝日日本歴史人物事典 「名和顕興」の解説

名和顕興

生年生没年不詳
南北朝時代武将。伯耆守。入道紹覚。基長の子,後醍醐天皇の隠岐救出で功績のあった長年の孫。延文3/正平13(1358)年,一族を挙げて伯耆国(鳥取県)から,伯父義高が恩賞として得た肥後八代荘(熊本県八代市)へ下向し,翌年の筑後大保原合戦に一族を従軍させている。南北朝の内乱末期,後征西将軍良成親王を宇土・八代に迎えて九州探題今川了俊に抵抗したが,明徳2/元中8(1391)年には降伏したようである。康安1/正平16年,同じ南朝方阿蘇惟澄から社領押領で訴えられているように,政治的立場と領地的野心を峻別した現実的な行動がみられ,新天地での地位向上を目指す意欲が窺える。<参考文献>『阿蘇家文書

(柳田快明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「名和顕興」の解説

名和顕興 なわ-あきおき

?-? 南北朝時代の武士
名和基長(もとなが)の子。伯父名和義高の養子となる。検非違使(けびいし),伯耆守(ほうきのかみ)を歴任。延文3=正平(しょうへい)13年(1358)肥後(熊本県)八代(やつしろ)にいき,征西将軍宮懐良(かねよし),良成(よしなり)両親王につかえ,南朝方として活躍した。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の名和顕興の言及

【名和氏】より

…中世南朝方の有力武家。村上源氏右大臣顕房の子孫と伝え,鎌倉時代行盛が配流され伯耆国長田邑を領し長田氏を称したという。長年は同国名和荘に住し名和氏を称したが,1333年(元弘3)隠岐に配流された後醍醐天皇を船上山に迎えてこれを助け,その功により建武政権から伯耆守に任じられ,因・伯2国を領した。しかし36年(延元1∥建武3)京都で足利尊氏勢と戦い子息らとともに討死した。孫の顕興は伯父義高が地頭職を得ていた肥後国八代荘に一族をあげて下向し,以後肥後南朝方の一中心となった。…

※「名和顕興」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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