日本歴史地名大系 「向石下村」の解説 向石下村むこういしげむら 茨城県:結城郡石下町向石下村[現在地名]石下町向石下鬼怒(きぬ)川西岸に所在。東は川を隔てて本石下(もといしげ)村・新石下(しんいしげ)村。平将門の父良将(良持)が延喜三年(九〇三)当地に本拠館を構え、将門の関八州制覇の本拠地となったと伝えられている。戦国期に成立したと推定される覚(宗任神社蔵)に「石毛之郷 四拾貫文 御年具(ママ)銭 斗物 夏秋ニ 八拾俵」とあり、古くは石毛(いしげ)郷のうちであったが、鬼怒川対岸の豊田谷(とよだや)原とよばれていた低湿地の開発が進むにつれて、対岸が石毛、当地が向石毛(むこういしげ)と称されるようになった。「結城郡郷土大観」によれば寛文一一年(一六七一)に向石下村を三分して向石下村・杉山(すぎやま)村・篠山(しのやま)村としている。「各村旧高簿」によれば幕末には旗本森川織部の知行三五九石余のほか香取神社・天台宗法輪(ほうりん)寺の除地が三石ずつあった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by