新石下村(読み)しんいしげむら

日本歴史地名大系 「新石下村」の解説

新石下村
しんいしげむら

[現在地名]石下町新石下

鬼怒きぬ川東岸、本石下もといしげ村の南に所在。古くは石毛いしげ郷のうち。「東国闘戦見聞私記」「結城郡郷土大観」によれば下妻城主多賀谷氏に仕えた小口左馬介義教は豊田谷とよだや原の開発に奉行として活躍したが、江戸幕府成立後に子の孫太夫義純は帰農して孫兵衛と名乗り当地の開発事業を進め石毛新田とした。さらに寛永七年(一六三〇)名寄帳(石下町民俗資料館蔵)に「横堤新田之儀ハ慶長十八年伊奈半十郎様迄御願申上相立申候、其節ハ願主住十人、左京、与右衛門右三人ニ願上申候、其後寛永七年午八月廿一日ニ新石下村横堤村一所ニ御検地請申候」とあり、やや遅れて開発された横堤よこつつみ新田(村高四八五石余)と合併して、寛永七年の検地の際新石下村となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報