本石下村(読み)もといしげむら

日本歴史地名大系 「本石下村」の解説

本石下村
もといしげむら

[現在地名]石下町本石下

鬼怒きぬ川東岸に所在。南は新石下しんいしげ村。戦国期に成立したと推定される覚(宗任神社蔵)に「石毛之あら河是壱郷 百六拾貫文 御年(ママ)銭 斗物 三百廿俵」とあり、北は原宿はらじゆく村より南は新石下村に至る広い地域をさしていたと思われる。また「東国戦記実録」に「平政基ハ八幡太郎源義家奥州武衡誅伐ノ御手ニ属シテ阿武隈川ノ先陣ヲ遂ケ其後数度ノ功有テ義家公ヨリ石毛ヲ下サレケル、然ルニ豊田四郎治親・次郎政重・東弘寺忠円ハ一腹ノ兄弟也、石毛ハ恩賞ノ地ナルモ次男次郎政重ヘ治親ヨリ (天脱)文年中石毛ヲ分ケ与ヘラレ石毛次郎政重ト号ス」とみえ、戦国末期には豊田とよだ城主豊田氏の支族石毛氏の本拠地であり、石毛いしげ城跡が残る。

当村付近は古く豊田谷とよだや原とよばれていたが、慶長一三年(一六〇八)頃にはかなり開発が進んでいたことが、寛永八年(一六三一)伊奈忠治書状(吉原家文書)に、

<資料は省略されています>

とみえる。また寛永七年の総州豊田之庄本石下村御検地水帳(同文書)によれば同年に伊奈忠治による検地が行われ、名請人一五七名、屋敷合計四町九反六畝一七歩(以上は原宿村を含む数字)、田九七町五反四畝一七歩、畑一二九町七反五畝二五歩。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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