日本歴史地名大系 「向笠西村」の解説 向笠西村むかさにしむら 静岡県:磐田市向笠西村[現在地名]磐田市向笠西・緑(みどり)ヶ丘(おか)篠原(しのはら)村の北、磐田原台地東部および太田(おおた)川支流の敷地(しきじ)川下流平野部にある。元和六年(一六二〇)幕府奉行所宛豊田郡向笠村指出(寺田家文書)によると、「午年御蔵入田畠高辻」は一千四二一石、田畠反別合計は一三九町九反余(上田三三町九反余・中田三一町六反余・下田二九町三反余・上畠一四町四反余・中畠九町二反余・下畠一四町五反余・屋敷六町八反余)。前年の年貢は六九七石余、新田高は一五石余、寺社領は三八石、庄屋は五人いた。向笠村は同九年永井尚政領となり(寛政重修諸家譜)、同年の年貢は高のうち堤敷・河成引を除く一千三八七石余に対し免率約五割五分(「年貢割付状」寺田家文書)、向笠新田は高一五石余に対し免率約三割一分であった(「年貢割付状」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by