デジタル大辞泉
「磐田市」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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磐田市
いわたし
面積:六四・二七平方キロ
県西部に位置し、東は袋井市・磐田郡浅羽町、西は浜北市・浜松市・磐田郡豊田町、南は同郡竜洋町・福田町と遠州灘海岸、北は同郡豊岡村に接する。北西境を天竜川、東部を太田川が南へ流れ、中央部を流れる中川・加茂川などが今之浦川となって南流する。市域は東西九・二キロ、南北一七キロ。磐田原台地、西の天竜川下流平地、東の太田川下流平地、南の今之浦・大池低湿地、海岸砂地に大別され、中央部の磐田原台地は市域の約二分の一を占める。台地は北部(標高一二四・九メートル)から南へ緩やかに傾斜し、東縁・西縁は急崖をなす。南端は西から中泉段丘・見付段丘・城之崎段丘、鎌田・西貝塚段丘を形成。中心市街地は東西に通る国道一号の北に見付、その南に並行して走る東海道本線の磐田駅周辺に中泉・国府台、海抜零メートルであった今之浦低湿地に今之浦・二之宮の三大市街地を形成している。磐田原台地南端をJR東海道本線・新幹線、台地中部に東名高速道路・磐田バイパスが並行して東西に走り、南部の海岸平野を国道一五〇号が東西に通る。
〔原始・古代〕
旧石器時代遺跡は約六〇ヵ所あり、北部の磐田原台地西縁を中心に分布している。昭和三五年(一九六〇)藤上原の池端前遺跡が県内で初めて調査されて以来、寺谷の寺谷遺跡、匂坂上の匂坂上遺跡、匂坂中の匂坂中遺跡、国府台の京見塚遺跡などが調査された。これらの遺跡は、いずれもナイフ形石器や細石器を主とする、新しい段階の旧石器時代に属する。縄文時代の遺跡は約三〇ヵ所知られ、市域北部では旧石器時代遺跡と重なる例が多いが、南部では西貝塚の西貝塚、見付の見性寺、中泉の石原といった貝塚を伴う遺跡が特徴的で、磐田原台地の南側にかつて広大な淡水湖が存在したことを示している。弥生時代の遺跡も三〇ヵ所ほど確認されている。北部台地の東と西の縁辺には小さな遺跡が営まれ、匂坂上の馬坂遺跡、向笠竹之内の竹之内原・新豊院山といった台状墓や方形周溝墓からなる墳墓群が目立つ。南部と太田川流域には、中泉から二之宮にかけての御殿・二之宮遺跡をはじめ鎌田の鍬影・長江崎、玉越の玉越などの大きな遺跡が形成されている。これら大遺跡は古墳時代前期まで栄えた。
市域には規模・内容とも優れた古墳が多い。前期の古墳は、市域北西部に寺谷の銚子塚古墳と小銚子塚古墳、北東部に新豊院山二号墳、南東部に新貝の松林山古墳と連城寺経塚古墳、南西部に二之宮の連福寺古墳と中泉の庚申塚古墳というように、四つのブロックに分れて築造されている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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磐田〔市〕
いわた
静岡県南西部,天竜川東岸に広がり,遠州灘に臨む市。 1948年市制。 1955年大藤村,向笠村,御厨村,長野村の4村と南御厨村の一部,1956年岩田村と田原村の一部,1957年於保村の一部をそれぞれ編入して市域を拡大。 2005年福田町,竜洋町,豊田町,豊岡村の4町村と合体。中心市街地は磐田原台地末端の見付と中泉。見付は古くは国府の所在地として遠江国の中心地で,東海道の宿場町として発展。 1889年東海道本線の敷設を避けたうえ,浜松が発展したため農産物の集散・加工地にとどまった。遠江国分寺跡 (国指定特別史跡) や銚子塚古墳,新豊院山古墳群,旧見付学校附磐田文庫 (ともに国指定史跡) などがあり,見付天神裸祭は国の重要無形民俗文化財。中泉は,江戸時代は代官所在地にすぎなかったが,東海道本線が敷設されると駅前町として発展した。海岸沿いの砂地などで温室メロンやチャ (茶) ,ネギ,エビイモなどを栽培。繊維や金属,自動車,楽器などの工場が立地する。太田川の河口付近にはウナギの養殖場やシラス加工の工場がある。熊野 (ゆや) の長フジは国の天然記念物。市域の一部は御前崎遠州灘県立自然公園に属する。 JR東海道本線,天竜浜名湖鉄道,国道1号線,150号線などが通り,東名高速道路のインターチェンジがある。面積 163.45km2(境界未定)。人口 16万6672(2020)。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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