君塚村(読み)きみづかむら

日本歴史地名大系 「君塚村」の解説

君塚村
きみづかむら

[現在地名]市原市君塚

岩野見いわのみ村の北西に位置する。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に村名がみえ、高四〇〇石。寛文四年(一六六四)当時久世広之領であった(「領知目録」寛文朱印留)元禄郷帳では高四一三石余。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では高四五三石余で家数七一、幕府領と旗本川口領。文政一〇年(一八二七)より一部が鶴牧藩領となり、幕末に至る。旧高旧領取調帳では幕府領二一石余・川口領四六石余のほか鶴牧藩領三八八石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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