長南(読み)ちようなん

日本歴史地名大系 「長南」の解説

長南
ちようなん

埴生はぶ郡の中心となる地名で、中世は武田氏の拠点の一つとされる庁南ちようなん城が置かれた。江戸時代には市町・継立場で、矢貫やぬき村の別称または同村内の宿町・在町の呼称であったと考えられる。矢貫および長南の地は古代以来埴生郡域にあるので、長南の称は北から東にかけて接する長柄ながら郡が平安時代末に再編されて成立した長北・長南両郡に由来したと想定することが可能である。この場合埴生郡もこの中世的郡に取込まれたと考えられるが、他方で埴生郡は中世にもみえるので確定できない。あるいは長柄郡に対して南に位置することからの命名か。また庁南の表記からは官衙の南という説明もしうる(→長南郡埴生郡

天正一八年(一五九〇)六月の豊臣秀吉禁制(長福寿寺文書)に長南三途台長福さんずだいちようふく寺とみえる。「武家盛衰記」に本多正信がかつて上総国「聴南」に一万石を領していたとあるが、「寛政重修諸家譜」などでは確認できない。慶長一一年(一六〇六)茂原もばらなどを領していた大久保忠佐は茂原・一宮いちのみやや長南など五ヵ所の名主をよび、交易の場所がなくては難儀であろうとしてこの五ヵ所を交易の場と決めた。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「長南」の意味・わかりやすい解説

長南(町)
ちょうなん

千葉県中部、房総(ぼうそう)丘陵の山間地域にある長生郡(ちょうせいぐん)の町。1955年(昭和30)庁南(ちょうなん)町と東、西、豊栄(とよさか)の3村が合併して改称。長生郡の南部にあることが町名となった。町の北部を国道409号が走り、東京湾と茂原(もばら)を結ぶ。また、圏央道が通り、茂原長南インターチェンジ(一部は茂原市)がある。中世、武田氏は庁南城を本拠に一帯を治めたが、江戸時代には旗本領となった。1868年(明治1)井上氏が浜松から鶴舞(つるまい)(市原市)に入封して6万石を領したが(鶴舞藩、1871年廃藩)、当初、町内に仮本営が置かれた。県立笠森(かさもり)鶴舞自然公園の中心にある坂東(ばんどう)三十三所31番札所笠森寺は、784年(延暦3)最澄(さいちょう)が開いたという名刹(めいさつ)で、国指定重要文化財の四方懸(しほうがけ)造観音堂をはじめ多くの文化財を有し、笠森寺自然林は国指定天然記念物である。報恩寺の木造阿弥陀(あみだ)如来坐像は国指定重要文化財。ゴルフ場や自然遊歩道もあって日帰りレクリエーションに適する。蓮根(れんこん)、ブランド米清流(コシヒカリ)などを産する。1992年(平成4)長南工業団地が造成され企業が進出している。面積65.51平方キロメートル、人口7198(2020)。

[山村順次]

『『長南町史』(1973・長南町)』


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改訂新版 世界大百科事典 「長南」の意味・わかりやすい解説

長南[町] (ちょうなん)

千葉県中部,長生郡の町。人口9073(2010)。房総丘陵北部の山間にあり,一宮(いちのみや)川の上流域を占める。中心集落の長南(庁南)は江戸時代には市場町として栄えたが,現在,商業はふるわない。主産業は農林業で,米作が中心。シイタケなども産する。南部に工業団地がある。市原市など京葉工業地域への通勤者も多い。天台宗長福寿寺,笠森寺(笠森観音)など古刹(こさつ)が多く,笠森寺の観音堂(重要文化財)は四方懸崖造という特異な建築様式で知られる。また境内の原生林は暖帯性照葉樹林の典型といわれ,天然記念物に指定されている。
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百科事典マイペディア 「長南」の意味・わかりやすい解説

長南[町]【ちょうなん】

千葉県中部,長生(ちょうせい)郡の町。大部分丘陵地林野が多い。主集落は近世初期の城下町,のち市場町として発達。稲作を中心とし,畑作も行う。工業団地があり,企業の誘致を推進している。圏央道が通じる。天台宗の名寺笠森寺(笠森観音,重要文化財)がある。65.51km2。9073人(2010)。

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