吾田邑
あがたむら
「日本書紀」神武即位前紀に登場する地名で、同書によれば神武は一五歳で立太子し、その後「日向国の吾田邑の吾平津媛」を妃としたとする。「古事記」は吾平津媛を阿比良比売と表記し、阿多之小
君(「日本書紀」では吾田君小橋)の妹とする。また「日本書紀」では吾田君小橋らの本祖をホスセリ(海幸彦)とする。「大日本地名辞書」は油津を吾平津の地とする説があることを紹介したうえで、吾平が地名だとし(吾平津の「津」は港津の意味ではないとする)、吾田は薩摩国(八世紀初頭に日向国から分立)の阿多、吾平は大隅国(和銅六年に日向国から分立)の姶羅のこととした。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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