日本大百科全書(ニッポニカ) 「呉沃堯」の意味・わかりやすい解説
呉沃堯
ごよくぎょう
(1866―1910)
中国、清(しん)末の小説家。字(あざな)は小允(しょういん)、繭人(けんじん)、のちに人(けんじん)。広東(カントン)省南海県の人。仏山に住んで我仏山人と号した。20余歳で上海(シャンハイ)に出、日本へも遊学した。1906年、雑誌『月月小説』の編集長となり、「小説によって社会を改造し、民智(みんち)を開明する」という啓蒙(けいもう)主義の立場にたち、異民族支配に抵抗する歴史小説『痛史』、迷信に反対する『九命奇冤(きえん)』、社会批判の代表作の一つである『二十年目覩之怪現状(もくとのかいげんじょう)』などを発表、政治、社会の暗黒に対する批判を展開したが、のちには旧道徳の復活を主張するようになった。
[尾上兼英]