周西郡(読み)すさいぐん

日本歴史地名大系 「周西郡」の解説

周西郡
すさいぐん

平安末期、周淮すえ郡が分割して周東すとう郡とともに成立した郡。「吾妻鏡」治承四年(一一八〇)九月九日条に源頼朝の挙兵に合流した上総介広常の率いた軍勢の一人として周西を称する人物がみえ、また寿永元年(一一八二)一二月三〇日条には広常の従兄弟周西助忠が記されており、平安末当郡は平姓上総氏の勢力下であったことがうかがえる。しかし承久期(一二一九―二二)には「周西郡地頭」として中原季時(駿河入道)が現れており(某書状「民経記」寛喜三年一〇月巻裏文書)、周西氏の支配は広常の死とともに改編を余儀なくされたのであろう。南北朝期、当郡は鎌倉明王みようおう院に勧請された鎮守春日社の所領となっており、延文三年(一三五八)同院法印仲尊の訴えで足利尊氏が上総守護千葉氏胤に周西郡寺家分の下地につき沙汰を命じている(五月二二日「足利尊氏書状」理性院文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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