日本歴史地名大系 「和宇慶村」の解説 和宇慶村をーきむら 沖縄県:沖縄島中部中城村和宇慶村[現在地名]中城村和宇慶(わうけ)・北浜(きたはま)・南浜(みなみはま)・南上原(みなみうえばる)津覇(ちふあ)村の南、中城(なかぐしく)間切南端にあり、東は中城(なかぐすく)湾に面する。南は西原(にしばる)間切小那覇(うなふあ)村(現西原町)。絵図郷村帳に「わうけ村」とある。琉球国高究帳にも「わうけ村」とあり、高頭二〇三石余、うち田一六九石余・畠三四石余。西方の伊集(んじゆ)村とともに伊集・和宇慶と併称される。西方にある御願一帯をイーントウ原と称し、和宇慶の古島と伝えられる。脇地頭は康熙三七年(一六九八)一一月九日から久米村系の毛氏(与世山家三代)三世毛文善、同六〇年三月八日から四世毛如徳と毛氏与世山家の系統が続き(毛姓与世山家家譜)、しばらく不明の後、咸豊二年(一八五二)八月五日から同じく久米村系の紅氏(和宇慶家)一六世紅泰熙我喜屋親方、同一〇年三月一五日から一七世紅邦藩、光緒二年(一八七六)一二月二七日から一八世紅楽廷と紅氏和宇慶家の系統が続く(紅姓和宇慶家家譜)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by