和珥津
わにのつ
古代よりみえる対馬の津湊。中世には佐護郡に属した。和珥津は「日本書紀」神功摂政前紀条に「和珥津」とみえ、神功皇后が同所より新羅に渡海したという。「住吉大社神代記」にも和珥津より新羅に向かったことが記される。古くから三韓への航路が成立していたことは、「三国史記」新羅本紀にもみえ、とくに実聖王七年(四〇八)二月条に「倭人於対馬島置営、貯以兵革資粮、以謀襲我」とあり、この対馬島の軍営は当浦にあったとされている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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