和知鷹二(読み)ワチ タカジ

20世紀日本人名事典 「和知鷹二」の解説

和知 鷹二
ワチ タカジ

大正・昭和期の陸軍中将



生年
明治26(1893)年2月1日

没年
昭和53(1978)年10月30日

出生地
広島県

学歴〔年〕
陸士(第26期)卒,陸大〔大正11年〕卒

経歴
参謀本部付支那研究員、済南特務機関などを経て、昭和6年参謀本部員兼陸軍大教官。同年急進的青年将校の結社桜会に所属し、10月事件参画憲兵隊保護検束される。事件後関東軍参謀、広東駐在武官、太原機関長、支那駐屯軍参謀などをつとめ、陸軍中央や関東軍の強硬派と共に日中間の紛争拡大を画策。13年台湾軍司令部付となり特務工作に従事。開戦後、第14軍参謀長、比島軍軍政監、南方軍総参謀副長など南方軍政を担当し、中将。20年中国憲兵隊司令官となる。戦後橘丸事件の戦犯として重労働6年の判決を受け、21〜25年巣鴨拘置所に入った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「和知鷹二」の解説

和知鷹二 わち-たかじ

1893-1978 大正-昭和時代前期の軍人
明治26年2月1日生まれ。太原特務機関長,支那駐屯軍参謀,蘭工作機関長として中国などで特務工作にかかわった。昭和18年陸軍中将。19年南方軍総参謀副長。戦後,橘丸(たちばなまる)事件(病院船不法使用)で戦犯となり,重労働6年の判決をうけた。昭和53年10月30日死去。85歳。広島県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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