唐船城跡
とうせんじようあと
源栄が建保六年(一二一八)唐船山に築城し開発の根拠地にしたという(三星鑑)。
一一世紀に宇野御厨の検非違使源久は、現長崎県松浦市今福に梶谷城を築き所領を広げ、上・下松浦にわたる広大な区域に及んだという(松浦家世伝)。その子源四郎直が後を継ぎ、久安年間(一一四五―五一)現伊万里市東山代町山ン寺に大館邸を築いたとされる。源栄は直の子で有田地方を与えられ、唐船城に拠り、その地名を冠して有田三郎栄と称し、有田氏の祖といわれる。
唐船山は東西五〇〇メートル、南北一〇〇―二〇〇メートル、標高およそ九〇メートルで、全山堅硬な流紋岩よりなり、有田川の北流をさえぎっている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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