善源寺村(読み)ぜんげんじむら

日本歴史地名大系 「善源寺村」の解説

善源寺村
ぜんげんじむら

[現在地名]都島区善源寺町一―二丁目・都島〈北通きたどおり一―二丁目・本通ほんどおり三―五丁目・中通なかどおり三丁目〉

沢上江かすがえ村の北に位置する細長い村で東は京街道、西は淀川に接する。村名ともなった善源寺については、奈良時代の行基建立寺院の一と伝え、「行基年譜」に天平二年(七三〇)、行基が六三歳の時、西城にしなり(成)津守つもり(現西成区)に建てたとある善源院が前身という。また「行基菩薩伝」には天平勝宝五年(七五三)七月二日「乗船下去善源寺、於寺内、以二千余蓮花荘厳自余」とみえる。平安時代、摂関家領榎並えなみ庄の四至内に所領をもつものとして、天王寺(現天王寺区の四天王寺)とともに善源寺があり(「水左記」承暦四年六月二五日条)、善源寺が榎並庄の近辺に存在したことがうかがえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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