日本歴史地名大系 「沢上江村」の解説
沢上江村
かすがえむら
中野村の北にある狭長な村で、西は淀川。東端を京街道が通るが、集落は淀川寄りにある。「沢上江」と書いてカスガエと読むことについて「摂陽群談」は「世俗滓を澤に誤り」と記し、すでに本願寺一〇世証如の「天文日記」に「滓」(天文五年七月二五日条)と「澤」(同六年七月二五日条)の混用がみられる。慶長一〇年(一六〇五)の摂津国絵図は「澤」の略字「沢」をもって「沢上村」と表記、江戸時代は一般的に「沢」が用いられるが、「摂津志」や「摂津名所図会」など「滓上江」と表記するものも多い。また元和初年の摂津一国高御改帳では「春日江」の字をあてる。観応元年(一三五〇)三月二七日付の売券(小杉榲邨採集文書)に「四天王寺御領沢上江庄」とみえ、南北朝期には四天王寺(現天王寺区)の寺領であった。室町時代には当地付近に本願寺教団の勢力が伸張、「天文日記」天文五年(一五三六)七月二五日条によれば、当村の門徒は
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報