20世紀日本人名事典 「喜多武四郎」の解説 喜多 武四郎キタ タケシロウ 大正・昭和期の彫刻家 生年明治30(1897)年12月12日 没年昭和45(1970)年11月28日 出生地東京・本所 別名号=寒泉,茸々子 学歴〔年〕川端画学校 主な受賞名〔年〕院展文部大臣賞(第44回)〔昭和34年〕「習作」 経歴川端画学校に学び、大正7年戸張孤雁に師事、日本美術院研究所に入り彫刻を学んだ。9年院展に初入選、10年院友、昭和2年同人となった。以後院展に出品を続け、34年第44回院展で「習作」が文部大臣賞受賞、36年彫刻部解散まで出品を続けた。43年日本画府彫塑部会員に迎えられた。「釈迦三尊」「老婦」「嘉璋老人」などの代表作がある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「喜多武四郎」の解説 喜多武四郎 きた-たけしろう 1897-1970 大正-昭和時代の彫刻家。明治30年12月12日生まれ。川端画学校でまなんだのち戸張孤雁(とばり-こがん)に師事し,大正8年日本美術院研究所にはいる。9年院展初入選,昭和2年日本美術院同人。34年「習作」で文部大臣賞。昭和45年11月28日死去。72歳。東京出身。号は寒泉,茸々子(じょうじょうし)。作品はほかに「観音像」「S氏坐像」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例