日本歴史地名大系 「四合谷村」の解説 四合谷村しごうだにむら 兵庫県:三木市四合谷村[現在地名]三木市志染町四合谷(しじみちようしごうだに)・緑(みどり)が丘町西(おかちようにし)二丁目・同四丁目・緑(みどり)が丘町中(おかちようなか)三丁目・志染町西自由(しじみちようにしじゆう)が丘(おか)一―二丁目・志染町青山(しじみちようあおやま)三丁目・同六―七丁目・志染町中自由(しじみちようなかじゆう)が丘(おか)一―二丁目・志染町東自由(しじみちようひがしじゆう)が丘(おか)一―三丁目広野(ひろの)新開の東、細目(ほそめ)川上流の丘陵地に位置する。北は上和田(かみわだ)村。年未詳一〇月七日の垣見周友・山城小才次連署書状(雲龍寺文書)に「しこ谷」とみえ、三木町の雲龍(うんりゆう)寺は当地のうちで「卅□石」を与えられている。慶長国絵図に村名がみえる。江戸時代は初め姫路藩領、元和三年(一六一七)明石藩領となる。正保郷帳でも明石藩領で、田方五二石余・畑方八石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by