日本歴史地名大系 「三木町」の解説
三木町
みきまち
- 兵庫県:三木市
- 三木町
加古川の支流
〔中世〕
徳禅寺領播磨国三庄年貢算用状(徳禅寺文書)によれば、文亀三年(一五〇三)一〇月一日若菜夫催促使に延期を依頼したときに三木福原方へ二〇〇文を、その使者には三木までの路銭五〇文を与えている。また翌四年二月には年始の礼として三木別所殿(則治)へ五〇〇文を贈っている。戦国期には職人(瓦大工)が居住しており、天文一六年(一五四七)六月から天正二年(一五七四)一〇月にかけて書写山
〔江戸時代〕
初め姫路藩領、元和三年(一六一七)明石藩領、同七年幕府領となる。寛永一六年(一六三九)備中成羽藩領、同一九年再び幕府領となり、宝永四年(一七〇七)常陸下館藩(のち上野沼田藩)領、寛保二年(一七四二)上野前橋藩領となる(以上「三木町御領主累代控」三木市有文書)。延享元年(一七四四)大坂城代・出羽山形藩堀田氏領(「天保校訂紀氏雑録」日産厚生会佐倉厚生園蔵)、同三年上野館林藩(のち石見浜田藩)領と変遷し(「館林城地目録」「松平家系略譜」浜田会誌)、天保一三年(一八四二)明石藩領となり幕末に至る(「御年譜」松平家蔵、旧高旧領取調帳)。
慶長国絵図に三木町・大塚町・
三木町
みきちよう
- 香川県:木田郡
- 三木町
木田郡の南部に位置し、北は
三木町
みきまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報