日本歴史地名大系 「四恩院跡」の解説 四恩院跡しおんいんあと 奈良県:奈良市奈良公園地区興福寺四恩院跡若草(わかくさ)山の南西麓にあったが、現在は県の公会堂となっている。興福寺の一院で、白河法皇によって建立された十三重塔があった(元要記)。菅家本「諸寺縁起集」には「十三重塔 建保三年五月廿八日覚蓮房上人入滅、同十一月十日門弟行蓮房述(延カ)供養、導師権別当法印範円、七僧在之、本尊御本地、尺、薬、地、観、文、四天、絵図尺迦浄土相、大明神地下并弥勒等来迎相、四本柱以下絵書之、障子十六ラカン、唐筆スミ絵、戸(扉)平八枚、法花万タラ、云木像云絵像、希にて神妙シテ難及言詞者也、舎利殿台在之、四条院御寄進云々、於舎利者本来寺物也、文明十二年十一月十九日夜炎上了、於本尊者奉取出云々、土民所為也」とある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by