日本歴史地名大系 「四王司城跡」の解説
四王司城跡
しおうじじようあと
四王司山に築かれた厚東氏の居城。
天文一八年(一五四九)三月一五日勝間田左近将監盛治の奥書をもつ「長門国守護代記」に
<資料は省略されています>
とみえ、正平一四年(一三五九)この城で大内弘世の攻撃を受けて、南朝に属した大内師弘方の厚東南・富永又三郎が討死している。
「長門国志」に「四王司山城墟(国府ノ北一里ニアリ)往年厚東氏居之、貞和五年十二月七日、駿河守武村為大内弘世所滅落城後、応永八年行方備中守秀具在城、同十二月二十六日於城下毘沙門堂討死」とあり、厚東氏の時築城されたが、応永八年(一四〇一)一二月二六日、大内盛見が豊後から上って来た時大内弘茂がこの城で盛見と戦い、ついに大敗して落城したといわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報