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大内弘茂 おおうち ひろしげ

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

大内弘茂 おおうち-ひろしげ

?-1402* 南北朝-室町時代の武将。
大内弘世の子。応永6年(1399)兄の義弘にしたがい堺で幕府軍とたたかい(応永の乱),敗れて降伏する。のちゆるされて周防(すおう),長門(ながと)の守護となり,兄盛見(もりみ)の討伐を命じられる。応永8年盛見に攻められ12月29日長門下山(さがりやま)城で戦死した。通称は新介。名は「ひろもち」ともよむ。

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朝日日本歴史人物事典の解説

大内弘茂

没年:応永8.12.29(1402.2.1)
生年:生年不詳
南北朝室町時代初期の武将。新介,周防介。弘世の子,義弘の弟。応永6(1399)年の応永の乱に際しては義弘と共に堺に行き,室町幕府軍と戦った。合戦に敗れて降伏。その後許され,周防・長門の守護となる。しかし,兄弟の盛見が弘茂に反抗したため,同7年7月,幕府の命を受けて盛見討伐のため周防・長門に下向。盛見は豊後に逃れた。同8年12月29日,長門国下山で盛見との戦のなか戦死した。

(佐伯弘次)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について | 情報

世界大百科事典内の大内弘茂の言及

【大内盛見】より

…室町中期の武将。幼名六郎。応永の乱(1399)で兄義弘の敗死後,戦後処理として幕府は下った弟弘茂に周防,長門を安堵し,留守を守る盛見を追討させた。しかし1401年(応永8)長門府中に弘茂を敗死させ,翌々年安芸,石見に進出すると,幕府も家督を容認して防長を安堵しさらに豊前,筑前を与え九州経営をゆだねた。その後九州の安定に努めたが,少弐氏と筑前深江に戦い敗死。【加藤 益幹】…

【周防国】より

…旧国名。防州。現在の山口県東部地方。
【古代】
 山陽道に属する上国(《延喜式》)。793‐849年(延暦12‐嘉祥2)の間に中国から上国に昇格した。《和名抄》は〈スハウ〉とよむ。もと〈周芳〉につくり,大宝令施行後〈周防〉に一定した。国司管治の国としては《日本書紀》天武10年(681)条に初見する。大島,熊毛(くまけ),都濃(つの),佐波(さば),吉敷(よしき)の5郡に721年(養老5)に熊毛郡をわけて玖珂(くか)郡を設置して6郡となった。…

※「大内弘茂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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