国広山城跡
くにひろやまじようあと
町の西側山地の最北端にある。「芸藩通志」は「一に二ツ山ともいふ、初め国広石見が所居、後和知与三実方より七世これに居る」と記し、和知一族が三谿郡に初めて所領を得た時の広沢実方の名をあげて、鎌倉初期以来和知氏の吉舎(現双三郡吉舎町)への本拠移転までの居城とする。また二ッ山を国広山の別名ともしている。しかし昭和四八年(一九七三)からの一部発掘調査の結果、国広山城と二ッ山城は約一・五キロ離れた別の城で、国広山城は戦国期の築城であることが明らかにされた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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