和知村(読み)わちむら

日本歴史地名大系 「和知村」の解説

和知村
わちむら

[現在地名]八百津町和知

木曾川中流域右岸、北西に山丘を帯び、東はいし川を経て野上のがみ村、西は上牧野かみまきの村、北は山を境として上飯田かみいいだ村と下飯田村(現川辺町)。古東山道が野上村より支村ほら組の傾城けいせい坂を経て上飯田村へ通じ、村南を太田おおた(細目街道)上牧野村へ通じる。

文明一七年(一四八五)二月日の和智郷内孫右衛門引得分年貢注文(汾陽寺文書)および延徳二年(一四九〇)の和智郷名田目録(同文書)があり、前者の外題に「和智郷内田地御年貢事」と記され、年貢・納物が名・垣内単位で列挙されている。後者は名田・垣内が列記され、総田数五町九反九〇歩、分米五八石九斗(俵数一九六俵一斗)、畠数四町二反一五〇歩、分銭二三貫三一〇文とある。両文書に共通の名・垣内として羽称名・浄土名・ゆすき名(名田目録では「柚杉名」、以下括弧内同様)・松嶋名・伊与垣内(伊与垣内名)・井上名・備後名・たて屋名(立屋名)・はさま垣内(波佐間名)・かち屋名(鍛冶屋名)・歌畠垣内(宇田畠名)・中切垣内(中切名)・藤原垣内(藤原名)があり、このほかに年貢注文のみに現れるものとして関田分・右馬次郎分・九郎垣内分・宮前ニ・中嶋分があり、名田目録にのみ現れるものとして黒垣内屋敷・聚地がある。

和知村
わちむら

[現在地名]三次市和知町

北と東は恵蘇えそ(現庄原市)、西は三次郡と境を接する、三谿みたに郡最北端の村。中央を南北国兼くにかね(和知川とも)が流れ、耕地がその両岸に広がる。中世には鎌倉御家人広沢氏の領した和知庄に含まれ、その領主広沢(和知)実成の居館があった。

江戸時代を通じて広島藩領で、元和五年(一六一九)の備後国知行帳では「わち村」として一三一〇・二五六石を記す。「芸藩通志」には畝高一六五町五畝一九歩、一千三二一石五斗六升八合とあり、石高にはさして変化はないが、これは三谿郡内では、南隣の向江田むこうえた村の一千七六二石余に次ぐ。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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