国連開発の10年(読み)こくれんかいはつのじゅうねん

世界大百科事典(旧版)内の国連開発の10年の言及

【UNCTAD】より

…こうしたなかで1950年代後半から発展途上国の経済開発をめぐって種々の困難が顕在化し,とくに貿易の伸び悩み,国際収支の不均衡が問題となり,発展途上国からの輸出の拡大が焦眉の急となったことがその成立の直接的なきっかけであった。 61年には第16回国連総会で1960年代を〈国連開発の10年〉とする決議がなされ,62年には国連主催の貿易会議を早期に開催することを要求したカイロ宣言が発せられた。そして同年の第17回国連総会で64年のUNCTAD開催が正式に決定され,同時に準備委員会が設立された。…

【経済協力】より

… 第2期は,東西平和共存の本格化と南北問題の幕あけを契機として,国際開発協力体制が整備された時代である。アメリカのケネディ大統領の提案によって,60年代が〈国連開発の10年〉と決議され,またDACやUNCTADなど国際開発協力体制の基本的枠組みが構築された。しかし60年代の後半ころからアメリカの経済力の相対的低下により援助意欲はしだいに後退していく。…

【国際連合】より

…こうした南北間の富の偏在の是正のため,今や国連で多数派になった南の新興国は,いわゆる〈77ヵ国グループ〉を結成して,国連に強い措置を求めるようになった。その要請にこたえるべく,国連は1960年代を〈国連開発の10年〉として,南北問題の解決に取り組むことになった。この努力はさらに70年代を〈第2次開発の10年〉,80年代を〈第3次開発の10年〉,90年代を〈第4次開発の10年〉として引き継がれている。…

【貿易】より

…南の一次産品と北の工業品の貿易では,一次産品価格が長期的に不利化する傾向があって,南北間の所得格差がますます拡大するという主張である(〈一次産品問題〉の項目参照)。60年代を国際連合は〈国連開発の10年〉と呼んで南の諸国の発展促進の大キャンペーンが行われたが,大きな成果を上げなかった。前に述べたように60年代は西ヨーロッパや日本が高度成長を実現した時期である。…

※「国連開発の10年」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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