一国の経済規模の長期にわたる拡大をいう。その計測は実質国民総生産によるのが一般的であり、経済成長率はその増加率によって示される。実質国民総生産は、名目国民総生産を総合的な物価指数で処理したものであるから、物価変動は消去されている。
[佐藤豊三郎・清水嘉治]
経済成長が実現するためには、一方において生産能力の増大が必要であるとともに、他方においてその生産能力を利用して年々の生産が増大してゆく必要がある。そして生産能力を決定するものは労働力、資本、技術であり、年々の生産を決定するものは年々の有効需要である。したがって、経済成長の要因としては次のようなものがあげられる。
(1)技術革新 技術革新期には新資源、新商品、新技術が続出し、それによって新産業の生成、新生産方法の採用が相次ぐが、それは設備投資の高揚にほかならない。設備投資は生産能力を増大させるのみでなく、有効需要を増大させ、生産を増大させるものであって、経済成長の原動力である。現に第二次世界大戦後、電子工業と石油化学工業を中心とする強力な技術革新が展開し、そのために先進工業国の経済成長率は戦前に比べて際だって高まった。
(2)資本蓄積 設備投資による実物資本の蓄積は、労働力1人当りの資本量、すなわち資本集約度を高めることを通じて、労働生産性を上昇させるという一面をもつ。
(3)資金供給 実物資本の蓄積を進めるには巨額の投資資金が必要である。この資金供給は、基本的にはその国の貯蓄率に依存するが、外資の導入も考えられる。
(4)人口増加 一方において労働力を増加させ、生産能力を増大させるとともに、他方において消費需要を増大させ、市場の拡大につながる。日本では人口減少が続き、成長要因を厳しくしている。
(5)内外市場の拡大 所得分配の改善による国内市場の拡大や、通商範囲の拡大による海外市場の拡大などは、有効需要を持続的に増大させ、経済成長を実現させる。
(6)その他 適切な財政・金融政策、企業間の競争を維持させる産業政策、安定した労使関係、さらに技術開発や労働力の質にかかわる教育水準など、経済成長の要因は広範囲にわたる。
[佐藤豊三郎・清水嘉治]
第二次世界大戦後の日本経済は、大まかにいくつかの時期に分けると、それぞれの特徴をみることができる。
第1期は昭和20年代(1945~54)で、経済復興期である。農地改革をはじめとする一連の経済民主化政策による体質改善を基礎にして、経済復興を果たし、その後の高度成長の基盤を築いた時期である。
第2期は昭和30年代(1955~64)で、発展期である。外資による海外技術の導入、消化、定着を主因として、高投資、高成長が続き、産業構造の高度化も進み、国際競争力もしだいに強化されて、貿易自由化、資本自由化などのいわゆる国際化も進んだ。なお、この時期に、日本の明治以来過剰といわれた労働力がようやく不足し、それが産業の近代化を容易にして、発展を助けた。
第3期は昭和40年代前半(1965~70)で、第二の経済発展期である。1965年不況のあと、深まる労働力不足や進展する貿易・資本の自由化に対応するため、大型技術の国内開発と中小企業の本格的な近代化が進み、ここに投資ブームが再燃し、高度成長が再発した。この時期の労働生産性の上昇は著しく、賃金水準の上昇にもかかわらず、国際競争力はさらに上昇して、国際収支の黒字も定着し、経済の国際化も進展した。改めて整理すると、高度成長の時代であり、「いざなぎ景気」ともいわれた時期である。設備投資を軸に生産性の向上、そして1ドル360円という固定為替(かわせ)相場のもと日本経済の国際競争力を示した時期でもあった。日本経済は、欧米の先進諸国に追い付くようになった。
第4期は昭和40年代後半(1971~74)で、変動期である。1971年にはドル・ショックすなわち金・ドル交換停止、為替相場の再調整、1972年は景気過熱、1973年には変動相場制移行、一次産品価格の高騰、そして第一次オイル・ショック、1974年は激しい調整不況で戦後初めてのマイナス成長となった。この期は激動が続き、日本の国際競争力は大幅に低下した。
第5期は昭和50年代全般(1975~84)で、低成長期ともいわれた。まず、第一次オイル・ショック以後経済成長率が鈍化したので、低成長でも収益があがるように、企業の体質転換が行われた。いわば受動的対応である。ついで積極的対応として、省エネルギー、省力のためのあらゆる努力が追求されたが、その成果は目覚ましく、1979年に第二次オイル・ショックが発生すると、日本の比較優位がいっそう明らかになり、中成長へと志向した。同時に、高度成長期のなかで発生した公害・環境問題も深刻になってきた。
第6期は昭和60年代から平成1年(1985~89)で国際協調と不均衡の時期である。1ドルが240円から260円までの為替レートの変動下にあり、全体として円高、ドル安基調であった。1987年に1ドル121円の円高水準になり、貿易の不均衡をもたらした。政府は「前川レポート」(1986年4月「国際協調のための構造調整研究会」前川春雄座長による国際協力、内容重視の報告書)による内需拡大政策を実行した。その結果、輸出の減少、輸入の増加をもたらし、低成長、物価不安定、設備投資不振に直面した。こうした傾向を脱皮する政策を選択しているうちに、日本経済はバブルに突入した。その結果、地価高騰、不良債権の累積、超低金利政策が日本経済の金融危機を招き、不安定性が表面化した。
第7期は平成2年から11年(1990~99)で、低成長の時期である。1991年にバブルが崩壊した。消費者物価は低下したが、所得は伸びず、雇用不安をもたらした。もちろん設備投資、輸出も伸びなかった。とりわけ1990年代後半ごろから、土地、不動産、建設、住宅関連業、運送業などに過剰な資金供給をした銀行は、莫大(ばくだい)な不良債権を抱え込み、経営危機に直面した。こうした状況は、資産価格の低下と株価低下を招来した。金融不況が日本経済を直撃し、1997年には、北海道拓殖銀行、山一証券など一流の金融業をはじめ多くの企業が倒産した。1997年4月に政府は、若干の好循環に支えられ消費税を5%に引き上げ、9兆円の税収を見込んだ。もちろん大蔵省・政府は、累積赤字や社会保障の支出増などに充当することを主張した。
1997年秋ごろから景気は後退した。消費は落ち込み、鉱工業生産も低下し、失業者数も急増した。政府の経済政策に対して国民から厳しい注文が寄せられた。総務庁の「家計調査」(1998)による所得階層別の消費支出の動きをみると高所得層の消費支出は増加しているが平均所得層の消費支出は低下し、さらに低所得層の消費支出も低下した。この結果からみて政府は低・中所得層の所得を上昇させる諸条件を政策として打ち出し、日本経済の活性化を示すべきであった。それは国民からの要望でもあった。
第8期は平成12~20年(2000~08)で、日本経済の「中成長」持続と2008年9月15日のリーマン・ショック(金融大不況)期である。2002年に始まり戦後「最長記録」を続けた景気回復は2007年に終了した。景気回復を持続的に支えた要因は、輸出指導にあった。2002年を100とする指数でみると、2007年に輸出は159、国内民間需要は111、公的需要は96である(内閣府「国民経済計算」)。国内需要が伸びなかったのは、消費の低迷にあった。それは、大手企業の利潤増に対して賃金が伸びなかったからである。政府は「経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006」で「新たな挑戦の10年」へ「日本経済が立ち向かう3つの挑戦」として(1)「成長力・競争力の強化」(2)「財政健全化」(3)「安全・安心の確保と柔軟で多様な社会の実現」の方針を出した。だが成長力の低下、財政のさらなる赤字、所得格差、雇用の不安定、失業者の増大、非正社員約1760万人(2008、総務省「労働力調査」)、都市と地方の格差拡大、後期高齢者負担増、教育の負担増、少子・高齢化への対応の遅れなどの課題に対してどう立ち向かうかが問われた。
さらに2008年9月15日にアメリカ、ヨーロッパを襲った金融大不況は、日本経済に対しても厳しい実体経済への不況として具体化している。2009年に入って、自動車、電機、機械、建築、不動産、住宅などの企業の経営危機が進んだ。IMF(国際通貨基金)は2009年の日本の成長率マイナス5.8%と厳しい予測をした。日本経済は、大手企業の賃金凍結、経営の引締め、さらに大手不況業種の関連中小企業の経営破綻(はたん)、失業者増、非正社員増、新規学卒者就職難、生活保護世帯増などにどのように対処していくのかが問われた。IMFも世界大不況への対策としては、各国が協調して金融政策や財政出動を強化する必要性を指摘し、G20(主要20か国・地域)は財政出動の規模を国内総生産(GDP)の2%を目安にすべきだとしたが、2010年は達成困難との見方を示し、追加の刺激策が必要という見方もあった。
[佐藤豊三郎・清水嘉治]
前述したような第二次世界大戦後の歴史的な技術革新の高まり、それに基づく経済成長の進展と停滞という現実に対応して、経済学においても、人口増加、資本蓄積、技術進歩といった長期的な動きを追究する経済成長理論が活発となり、多彩、精緻(せいち)な展開を示した。
[佐藤豊三郎・清水嘉治]
現代の経済成長理論はR・F・ハロッドとE・ドーマーの先駆的業績に始まる。短期理論のケインズ理論では、生産能力Pは一定とされ、所得Yが生産能力Pを下回るところに失業の発生をとらえたが、長期理論であるハロッド‐ドーマー理論では、資本ストックKを(さらには人口、技術も)可変にし、したがって生産能力Pも変化するものとし、それと所得Yとの関係を追究する。
いま、生産能力が完全に利用されている状態、P=Yから出発して、増加する生産能力を持続的に完全に利用する条件、
ΔP=ΔY………(1)
が満たされれば、生産能力はつねに完全に利用されるから、(1)式は完全利用成長の条件である。ところで、この条件の意味するものは何か。(1)式の左辺も右辺も投資にかかわる。すなわち、投資は資本ストックを増加させるからI=ΔKであり、資本ストック1単位が生み出す生産能力をσとすれば、投資は
ΔP=Iσ………(2)
だけの生産能力の増加をもたらす。投資の「生産能力創出効果」である。一方、投資増加は乗数効果によって
だけの所得増加をもたらす。投資の「所得造出効果」である。投資はこのような二面的効果をもっており、(1)式は両効果の調和にほかならない。したがって、(1)式は
となり、完全利用成長の条件は、投資がその国の貯蓄率sに資本の生産能力係数σを乗じた率(s=0.2,σ=0.5とすれば10%)で絶えず増加しなければならないという厳しい条件である。投資の増加率は所得の増加率にほかならないから、完全利用成長の条件は経済成長率が同じくσs率であることを要求するものである。経済成長がこの率を下回れば、利用されない生産能力、遊休資本ストックが発生する。
ハロッドの「適正成長率」gwは、ドーマーの完全利用成長と同内容である。いまσの逆数をvで示せば、それは生産量1単位のために必要な資本ストック量を示し、必要資本係数とよぶ。所得(生産)が増大すると、それにvを乗じただけの資本ストック(ΔK=vΔY)が必要となるから、必要とする投資すなわち資本財需要はI=vΔYであり、一方、資本財の供給は、そのときの生産から消費に使った残余すなわち貯蓄にほかならないから、それはS=sYである。したがって、資本財需給の一致する成長率、すなわち資本ストックが完全利用される成長率は、
である。
ハロッドはさらに自然成長率gnという概念を示す。それは、増加する労働力をすべて雇用する成長率で、労働力増加率をn、技術進歩率をβとすれば、gn=n+βである。適正成長率gwと自然成長率gnが調和し、それに現実成長率gが等しければ、g=gw=gnで、理想的な均斉成長であるが、その実現は困難であり、またたとえそれが実現したとしても、それからの乖離(かいり)はさらに乖離を生み、不安定であると説く。
[佐藤豊三郎・清水嘉治]
ハロッド‐ドーマーの成長理論は動学的不安定性を主張したが、この理論は実に多くの単純化のための仮定のうえに成り立っている。これに対して、資本係数v固定という一仮定を解除して、連続生産関数によるv可変モデルをつくり、動学的安定性を立証したのが、R・M・ソロー、T・W・スワン、J・E・ミードなどの新古典学派の成長理論である。
新古典学派によってv固定の仮定は解除されたが、まだ多数の単純化の仮定が残る。貯蓄率s一定の仮定、労働力増加率n一定の仮定、技術状態一定の仮定、一財理論の仮定、資本の同質性の仮定などがそれである。これらの仮定は次々に解除されて、成長理論は多彩な展開を示す。s可変モデルはN・カルドアが展開し、T・ホーベルモは労働力増加率nを可変にした。なかでも技術進歩を伴う経済成長理論の展開は目覚ましい。すなわち、ハロッド中立、ヒックス中立、ソロー中立(同じくそれぞれ労働節約的、資本節約的)の三つのタイプの技術進歩のとらえ方が有名であるが、そのほかにN・カルドアの技術進歩関数やJ・ロビンソンのとらえ方も特異である。一財理論の仮定は解除されて、二部門モデル、さらに多部門成長論に進む。またフォン・ノイマンは最適成長経路を追究し、やがてターンパイク定理も生まれた。さらに、資本を異質的なものの集合とするビンテージ・モデルがあり、J・トービンらの貨幣的な成長理論もあり、またヒックスはその著『資本と時間』(1973)で、オーストリア学派の資本理論を復活させて、成長理論の新展開を企てた。この理論も大不況、長期停滞のなかで、その限界も認識されてきた。環境保全と福祉の充実のために成長理論をどのように構築するかが課題となる。社会資本を組み入れた成長理論の構築が期待されている。
[佐藤豊三郎・清水嘉治]
『R・ハロッド著、高橋長太郎・鈴木諒一訳『動態経済学序説』(1953・有斐閣)』▽『R・G・D・アレン著、新開陽一・渡部経彦訳『現代経済学・マクロ分析の理論』全2冊(1968・東洋経済新報社)』▽『荒憲治郎著『経済成長論』(1969・岩波書店)』▽『F・ハーン、R・マッシューズ著「経済成長理論展望」(アメリカ経済学会・王立経済協会編、神戸大学経済理論研究会訳『現代経済理論の展望Ⅱ』所収・1972・ダイヤモンド社)』▽『中村隆英著『日本経済・その成長と構造』(1978・東京大学出版会)』▽『南亮進著『日本の経済発展』(1982・東洋経済新報社)』▽『V・トーマス他著、小浜裕久他訳『経済成長の質』(2002・東洋経済新報社)』▽『A・P・サールウォール著、清水隆雄訳『経済成長の本質』(2003・学文社)』▽『伊ヶ崎大理著『地球環境と内生的経済成長』(2004・九州大学出版会)』▽『嶋中雄二著『日本の景気』(2004・角川書店)』▽『厚生労働省編『厚生労働白書』各年版(ぎょうせい)』▽『小野善康著『景気と経済政策』(岩波新書)』▽『山家悠紀夫著『景気とは何だろうか』(岩波新書)』▽『伊藤修著『日本の経済』(中公新書)』
国民経済の規模が年々拡大していくプロセスを経済成長といい,具体的には国民総生産=GNP(あるいは国内総生産=GDP)や実質国民所得(NI)が,その計測の対象となる。この語は,ときには経済発展と同義に用いられることもあるが,J.シュンペーターの《経済発展の理論》に示されているように,普通には経済発展という用語は経済構造の変革を含む経済諸量の断続的変化が問題とされるのに対して,経済成長という場合には経済諸量の連続的変化や調和的変化が問題とされることが多い。
資本蓄積,技術進歩,人口増加の三つを挙げることができる。第1の資本蓄積は国民生産力の物質的基礎を拡充し,かつ新しい生産技術を具体化するための物的手段を形成し,第2の技術進歩はそれによって生産要素の効率的利用の可能性が拡大され,そして第3の人口増加はそれによって本源的生産要素である労働力の増大が可能となるのである。ところで,長期的,平均的にみると,これらの諸要因によって実質国民所得は着実に成長してきたが,労働人口1人当りの資本量は不断に増大し,それと同時に労働人口1人当りの実質国民所得も不断に成長してきたのである。そして多くの実証研究の結果によるならば,労働人口1人当りの実質国民所得の成長に対する資本蓄積の効果よりも,技術進歩の効果のほうがはるかに大きいことが示されている。表は南亮進による第2次大戦前および戦後における日本の第2次産業民間部門の経済成長率を計測した結果を示したものである。ここで,Y=実質国内生産,L=労働人口,K=資本ストック,λ=技術進歩率であり,g( )というのはかっこの中の変数の変化率を示す記号である。そしてこの表の基礎になっているのは,次のような技術進歩の効果を考慮した生産関数である。Y/Lは労働生産性,K/Lは労働の資本装備率(資本集約度)である。そしてt=時間で,技術進歩が時間の経過において生起する現象であることを考慮して導入されたものである。すなわち,この生産関数は労働生産性が労働の資本装備率と技術進歩の二つの要因に依存していることを示しており,表はその依存の仕方を日本のデータによって示したものにほかならない。たとえば戦後についてみると,この部門の労働生産性は1年当り9.53%の率で成長し,労働の資本装備率も9.1%の率で増大してきた。そこでいま,K/Lの変化がY/Lに与える貢献をαで示そう。もし,資本の限界生産力が資本利潤率に等しいとすれば,αはYに占める資本利潤の割合にほかならない。実際,この期間にはαは約0.33であったのであり,戦前には約0.44であったのである。このようにして,αとg(K/L)とを乗じると,資本蓄積が労働生産性の成長に与えた効果を確認することができるから,あらためて
g(Y/L)-αg(K/L)=λ
と書けば,λは技術進歩によって可能となった労働生産性の成長率を示すことになるのである。これを〈技術進歩率〉とよべば,技術進歩率は戦前には2.89,戦後には6.54であり,技術進歩率が労働生産性の成長率に対して与えた貢献の程度(最後の欄)がそれぞれ65%および69%に達していることがわかるのである(なお,表は資本および労働がともに完全利用されていることを前提にして計測されているが,これをそれぞれの生産要素の利用度によって修正しても計測の結果には大きな変動は生じていないことが確認されている)。
技術進歩はその本来の性格からみて,その率がつねに一定の流れで発生するとすべき理由は存在しない。そしてここに,循環的成長の可能性の生ずる一つの根拠が存在する。〈循環的成長cyclical growth〉とは,現実の成長過程はつねに景気変動または景気循環の波動のなかで進行することを意味するものであって,経済成長は景気循環の現象のなかからいわば事後的に確認されるトレンドにすぎぬことを示す言葉にほかならない。もちろん,景気循環がなぜ生じるかについては多様な見解が述べられており,したがって循環的成長の過程がいかにして生じるかについても意見の一致は存在しない。同じく,成長現象と循環現象の関連についても見解は多様である。しかし,技術進歩あるいはシュンペーターのイノベーションなしには労働生産性の不断の増大を含む経済成長の実現が不可能であることについては,今日ではかなりの意見の一致がある。シュンペーターによれば,イノベーションの具体的形態として,(1)新しい財貨の生産,(2)新しい生産方法の導入,(3)新しい販路の開拓,(4)原料あるいは半製品の新しい供給源の獲得,(5)新しい組織の実現,が挙げられる。
事がらの性質からすれば,上記のイノベーションが経済の全領域において均等の率で発生することを期待することは困難である。そしてここに,産業ごとに異なる率の成長によって特色づけられる不均衡成長の可能性が生まれるのである。もちろん理論的には,すべての産業部門が同一の率で成長する均衡成長の状態を想定することは可能である。そして均衡成長の状態は単に理論的に可能であるのみならず,政策的な観点からそれにできるだけ近づけるような政策立案が望ましいとする見解も述べられている。しかし他方では,経済成長のためには戦略的産業を中心に考慮しなければならず,したがって不均等成長は必然的なものであるという見解も述べられており,この問題についても意見の一致はない。たとえば開発途上国発展論をめぐり,均衡成長論の立場をとるR.ヌルクセと不均衡成長論を唱道するA.ハーシュマンの対立がそれである。
経済成長の理論そのものについていえば,現在ではマルクス経済学と近代経済学の対立があり,また,近代経済学の場合にも古典学派,ケインズ学派,新古典学派,新しい古典学派など多様であって,これを要約的に示すことは困難である。しかし近代経済学に議論を限定すると,これを新古典学派的アプローチとケインズ学派的アプローチに大別しうることについては,かなりの意見の同意が存在する。新古典学派的接近というのは,市場価格がもつと期待される需給調節機能を中心にして生産・分配・貯蓄・投資の諸問題を分析するものであって,情報の不完全性および攪乱(かくらん)的要因がない場合には,労働市場および生産物市場は需給均衡のもとにあることが前提にされるのである。そのような前提のもとでは,労働人口および生産技術の体系が一定不変なる限り経済は資本蓄積の結果として定常的な経済状態に収束することが示される。しかし,そのような定常状態は資本主義経済の長期的,平均的な映像ではない。長期的,平均的には,資本主義諸国では労働人口の増加にもかかわらず労働生産性は不断に上昇しており,労働の資本装備率も着実に増大してきているのである。ここに,あらためて生産関数のなかに技術進歩の要因を導入することの必要性が認識され,不断の成長を含む均衡理論が展開されるようになった。
これに対してケインズ学派の人々は,ケインズの所得決定論の分析手法を経済成長論の展開においても採用し,市場価格の需給調節機能を前提にしない。したがって労働市場や生産物市場での均衡は必ずしも前提にされず,一般には不均衡状態を前提にした経済モデルが展開されるのである。R.F.ハロッドの経済成長論はまさにその典型であり,ハロッドによれば,生産物市場でのマクロ的均衡条件を示す投資=貯蓄の均衡状態は,ひとたび不均衡になればますますその不均衡の程度は拡大されると結論づけられるのである(これに対して新古典学派的接近では,投資=貯蓄の均衡状態は利子率の需給調節機能によってつねに維持されるものと仮定される)。またハロッドによれば,労働の完全雇用と資本の完全利用とが同時に達成されるのは偶然によるのであり,すべての生産要素の完全利用を前提にする新古典学派の理論と対照をなすのである。
おそらく現実には,失業が存在し資本設備も遊休していて,国民経済の潜在的供給能力が完全に利用されているとはいえない。その場合には総需要量を供給能力の大きさに見合う水準にまで増加させる必要性が生じる。ケインズ学派の総需要管理政策はまさにそのことを意図したものであり,増大しつつある潜在的供給能力を現実のものにするための政策にほかならないのである。おそらく,需要が供給にみたなければ,潜在的供給能力を増大させる刺激それ自体が弱まってきて,成長率も鈍化するであろう。最近,潜在的供給能力それ自体を増大させようとする〈供給サイドの経済学(サプライサイド・エコノミックス)〉が注目されているが,供給サイドの経済学が意味をもちうるのは国民経済全体の総需要が潜在的供給能力に等しくなっていることが必要なのである。もし,価格機構が満足のいく仕方で需要=供給の状態を実現しえないとすれば,経済成長率を高めるためには,一方では潜在的供給能力の増大のための政策と同時に,総需要管理政策の施行が不可欠となるのである。
執筆者:荒 憲治郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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