国領城跡(読み)こくりようじようあと

日本歴史地名大系 「国領城跡」の解説

国領城跡
こくりようじようあと

[現在地名]春日町国領

黒井くろいから東へ延びる京への街道沿いに立地し、国領集落中心部の小字城の内しろのうちに位置する。堀・土塁が残った貴重な平地居館跡。街道と河岸段丘の縁に挟まれており、現在は流泉りゆうせん寺境内。当城から南東二キロに三尾みつお(山城)があり、当城は三尾城主赤井幸家の下屋敷と伝える(丹波志)。天正七年(一五七九)八月黒井城を落した明智光秀(「信長公記」同月九日条)、同年九月国領城を攻めた。同月二三日の明智光秀書状(雨森善四郎文書)によれば、同四年に失敗した黒井城攻めの際、光秀自身が陣取ったのが「国領之城」だったという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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