コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

土佐光茂 とさ みつもち

3件 の用語解説(土佐光茂の意味・用語解説を検索)

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

土佐光茂 とさ-みつもち

?-? 戦国時代の画家。
土佐光信(みつのぶ)の子。大永(たいえい)3年(1523)ごろには父の跡をついで絵所預(えどころあずかり)となり,永禄(えいろく)12年(1569)ごろまで活躍。従四位下,刑部大輔(ぎょうぶのたいふ)。大和絵装飾画の代表的作家で,作品に「桑実(くわのみ)寺縁起絵巻」「浜松図屏風(びょうぶ)」などがある。名は「みつしげ」ともよむ。

土佐光茂 とさ-みつしげ

とさ-みつもち

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

土佐光茂

生年:生没年不詳
室町後期の土佐派の絵師。「みつしげ」とも読む。宮廷絵所預。左近将監,刑部大輔,正五位下の位官を得た。大永2(1522)年から永禄12(1569)年までの記録が残る。土佐家系図は光信の子としており,光信の跡を継ぎ,大永3年にはすでに絵所預に補任,半世紀近くその座を独占した。著名な画事として宮中の「源氏物語屏風」,石山本願寺の障壁画,大徳寺瑞峯院の「堅田図襖」,仏画では長谷寺本尊の観音像,肖像画では「将軍義晴像」(京都市立芸大に下絵のみ現存)などがある。現存の代表作は足利義晴奉納になる滋賀桑実寺桑実寺縁起絵巻」(1532)や奈良当麻寺「当麻寺縁起絵巻」(1531)がある。これらは光信様式を継ぎながら,伝統的なやまと絵と水墨画の融合にも成功しており,濃彩で緻密な描写を駆使した完成度の高い作品である。和漢融合様式の達成という点で,光茂の画業は極めて大きい。現存作は他に奈良長谷寺「長谷寺縁起絵巻」,大分の柞原神社「由原八幡宮縁起」,京都十念寺「十念寺縁起絵巻」がある。<参考文献>吉田友之「土佐光信」(集英社日本美術絵画全集』5),宮島新一『土佐光信と土佐派の系譜』

(相澤正彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の土佐光茂の言及

【土佐派】より

…春日の工房を受け継いだ光信は91年から翌92年(明応1)にかけて広周の所領をも吸収・獲得し,ちょうどこのころに14世紀中期の絵所預中御門行光を自己の始祖と崇め,土佐派工房を確立した。その工房の繊細優美な流派様式は,光信の後継者土佐光茂(みつもち),その子の光元へと継承された。しかし光茂最晩年の1569年(永禄12)に光元が40歳で戦没し,室町時代の土佐派はついに廃絶した。…

【土佐光信】より

…他に光信の画歴として,《庚申図》にみる水墨画法の摂取も無視できないが,ことに障屛画家としての活動が注目される。1506年(永正3)に制作したとされる(《実隆公記》)《京中図屛風》一双の実態,土佐光起が光信作とする金地《松図屛風》(東京国立博物館)の筆者の帰属,足利義政の造営した東山殿障壁画制作への参加の可能性などが,後継者土佐光茂(みつもち)の画業や近世初期金碧画の動向とも関連して,今後さらに検討されよう。【吉田 友之】。…

※「土佐光茂」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

土佐光茂の関連キーワード荒井千春土佐光清土佐光親土佐光則吉田逸言出目満茂土佐光重土佐光季土佐光周藤原行秀

今日のキーワード

平野美宇

卓球選手。2000年4月14日、静岡県生まれ、山梨県育ち。3歳で卓球を開始。07年に小学1年生で全日本選手権大会バンビの部優勝、09年に小学2年生で同大会ジュニアの部初出場を果たし、注目を集めた。13...

続きを読む

コトバンク for iPhone

土佐光茂の関連情報