日本大百科全書(ニッポニカ) 「土呂久鉱山」の意味・わかりやすい解説
土呂久鉱山
とろくこうざん
宮崎県西臼杵(にしうすき)郡高千穂町(たかちほちょう)、古祖母(ふるそぼ)山の麓(ふもと)にある砒素(ひそ)・錫(すず)・鉛・亜鉛鉱山。土呂久は1500年代銀山として開発されたといい、その際ポルトガル人ヨゼフ・トロフを技師として招き、その名が地名になったという。江戸時代一時的に稼行(かこう)されたが、本格的な開発は大正以降で、硫砒(りゅうひ)鉄鉱を亜砒酸窯で焙焼(ばいしょう)、煙道に付着した亜砒酸を採取した。当時の劣悪な労働条件と有毒な排気ガスにより、従業員、土呂久住民に砒素中毒が広がり、1962年(昭和37)以降休止にもかかわらず、死者26名、公害認定患者139名余の大きな被害を生じ、損害賠償を求める裁判がおこされた。なお同鉱山はダンブリ石、斧石(おのいし)の産出で世界的に知られる。
[横山淳一]