日本歴史地名大系 「土屋山田村」の解説 土屋山田村つちややまだむら 栃木県:矢板市土屋山田村[現在地名]矢板市山田(やまだ)東泉(ひがしいずみ)村の東に位置し、東境を箒(ほうき)川が南流する。川崎(かわさき)城の支城山田城があり、塩谷伯耆守重臣山田筑後守業辰の居城と伝え、業辰は天正一三年(一五八五)の薄葉(うすば)ヶ原(はら)(現大田原市)の合戦で那須勢と戦い戦死したという。近世は初め宇都宮藩領、正徳元年(一七一一)に幕府領、寛政二年(一七九〇)に旗本横田領となり幕末に至る。初めは山田村を称したが、宇都宮藩領内に山田村三ヵ村があったために改称したという。慶安郷帳には土屋山田村とあり高六六五石余、田方四八二石余・畑方一八二石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by