土崎湊肴町(読み)つちざきみなとさかなまち

日本歴史地名大系 「土崎湊肴町」の解説

土崎湊肴町
つちざきみなとさかなまち

[現在地名]秋田市土崎港中央つちざきみなとちゆうおう三丁目の一部

弘化三年(一八四六)絵図によれば、南は小鴨おがも町に続く。旧名萱村かやむら町で、萱・蘆の茂る湿地帯にあったため、町名が起こったとする説がある(土崎港町史)

「適産調」に「文政五年中、肴町と改称す」とあり、萱村町が藩から肴家督を与えられていたための改称である。肴家督について「上肴町記録」享和二年(一八〇二)四月一六日に「此度湊萱村町肴家督被仰付候間、御内々被仰渡候」とみえ、久保田の上肴くぼたのかみさかな町に残る文久三年(一八六三)の「日記」(根田正衛氏蔵)の一一月二〇日付の上肴町よりの肴家督につき言上書に「湊萱村町之儀は百八十年余後享和二戌年肴家督湊限被仰付罷有申候」とあり、萱村町の肴家督の特権は享和二年に湊町限りで与えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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