上肴町(読み)かみさかなまち

日本歴史地名大系 「上肴町」の解説

上肴町
かみさかなまち

[現在地名]秋田市おお町一丁目の一部

大町の西の通りで、ちや町筋の最北部、とおり町筋と交わる。町の由来について「上肴町記録」の「明和七年寅六月家督之儀御尋ニ奉申上候写」に次のようにある。

<資料は省略されています>

みなと(現土崎港)で魚商売の家督を許され、外町町割の時、通町の東のあさひ川のほとりに引っ越したことは「梅津政景日記」慶長一七年(一六一二)閏一〇月一二日条に「内膳(渋江)殿、さかな町橋ノ下より舟にめし、留場へ御出被成候」とあることでも明らかで、当初通町橋は肴町橋といった。


上肴町
かみさかなまち

[現在地名]鶴岡本町ほんちよう三丁目

七日なのか町の西、七日町橋から西へ延びる道沿いにある町人町。西はさかうえを経てしん町、南西鍛冶かじ町。慶長八年(一六〇三)町割され、初めのちの郭内馬場ばば町辺りにあった。元和八年(一六二二)の酒井氏入部後の郭内拡張に伴い、郭外の現在地へ移転したという。寛永二〇年(一六四三)の間数五三(大泉掌故)。延宝六年(一六七八)城下絵図に上肴町二三〇間とある。天和三年(一六八三)の町割は三町半、家数一五六、男五五〇・女四四六(「鶴ヶ岡町割家数人数書上」鶏肋編)


上肴町
かみさかなまち

[現在地名]岡崎市伝馬てんま

伝馬町上之切かみのきりより北裏に南北に通ずる町。南は伝馬町、北は誓願せいがん寺門前に接する。町の長さ一町八四間・幅二間。町の東側三一間・西側三〇間分が岡崎宿伝馬役地、東側二四間・西側二三間半が年貢地であった。

正保年間(一六四四―四八)下肴町(当時肴町)より分れてできた町。文政一二年(一八二九)四月に両肴町より出した願書(岡崎市史)の中に

<資料は省略されています>

とあり、伝馬町の本陣・旅籠屋へ魚鳥類を手近で供給するために新設された町であった。同願書中に「正保年中両所に相成右魚鳥渡世仕り」とあり、上下肴町に分れた時期を記している。しかし両肴町が座銭口銭をとる魚座が認められるのは寛文以後である。享和二年書上に「市日定日無御座候、但シ町内之者魚商売仕り、魚問屋を立て座銭を取り、町内御伝馬役助成に仕候、尤先年御城主様より御免被成下候」とあって、座銭が伝馬役入用にあてられていた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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