土御門久脩(読み)つちみかど・ひさなか

朝日日本歴史人物事典 「土御門久脩」の解説

土御門久脩

没年:寛永2(1625)
生年永禄2(1559)
室町末から江戸初頭にかけての陰陽家。安倍有脩の子。元亀3(1572)年に元服。幼少より天文と暦道を学ぶ。陰陽頭,左馬助,天文博士歴任織田信長,豊臣秀吉に仕えていたが,文禄4(1595)年に秀吉の怒りを買い,京都を追放され若狭国(福井県)名田庄に住む。慶長5(1600)年京都に戻り,徳川家康に陰陽道宗家と認められて,183石6斗の禄を与えられる。公家昵懇衆のひとりとして家康に仕えるとともに,家康,秀忠,家光,後水尾天皇などのため即位を祝う天曹地府祭を執行した。元和7(1621)年に従三位となる。<参考文献>村山修一『日本陰陽道総説』,『陰陽道叢書 中世

(林淳)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「土御門久脩」の解説

土御門久脩 つちみかど-ひさなが

1560-1625 織豊-江戸時代前期の陰陽師(おんようじ)。
永禄(えいろく)3年生まれ。土御門有脩(ありなが)の子。織田信長,豊臣秀吉,徳川家康につかえ,陰陽頭(かみ),左馬助,天文博士をつとめた。寛永2年6月18日死去。66歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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