日本大百科全書(ニッポニカ) 「土豪一揆」の意味・わかりやすい解説
土豪一揆
どごういっき
近世初頭の一揆の種類。豊臣(とよとみ)政権期から徳川政権初期にかけて、土豪的な百姓を中心にした武力一揆が各地で起こった。この時期は支配者の交替が激しく、新しく入封してきた領主は検地を強行したり新規に年貢や夫役(ぶやく)を課した。これに対して旧領主の遺臣や土豪的な百姓が、新領主の入封そのものを阻もうとしたり、検地や新規賦課に抵抗した。彼らはいずれもその土地では小領主の性格をもっていたが、新領主の政策は彼らを百姓身分に押し下げて年貢・夫役負担者として固定させようとするものであった。すでに兵農分離の原則はたてられ刀狩令も出ていたが、まだ不徹底であったから一揆は武器を用いての反抗となった。近世農村を基盤に小農主体の惣(そう)百姓が行う典型的な百姓一揆と区別して土豪一揆とよぶ。1637年(寛永14)に起こった島原・天草一揆は、土豪一揆から惣百姓一揆へ移っていく分水嶺(れい)の位置にある。
[深谷克己]