ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「惣百姓一揆」の意味・わかりやすい解説
惣百姓一揆
そうびゃくしょういっき
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村請制村落には,庄屋(名主)・組頭・百姓代の村役人層と小前百姓・水呑百姓などが存在し,惣百姓は一般に村役人層と区別して用いられたが,惣百姓一揆という場合は,村役人層を含む全員が参加した一揆をさす。この形態の一揆が一般化するのは17世紀後半からである。惣百姓一揆は,徒党という多数の威力を背景に打ちこわしをともなう強訴へ,さらに全藩的規模での大規模な一揆や藩領をこえた広域闘争に展開するとされる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…ここには〈山林に交わる〉と表現された中世の逃散の伝統が強く息づいているといえる。次に17世紀後半,小農民経営を基盤とした近世村落が一般的成立をみ,それを背景に近世的な惣百姓一揆が登場してくると,逃散の形態にも変化があらわれる。惣百姓一揆の主要な形態は18世紀前半にかけ,全藩的な越訴(おつそ)から全藩的な強訴へと展開するが,その中で藩領の農民が他藩領へ,あるいは幕領へ逃げ込み,その地の領主や代官に越訴・強訴を行うといった形の逃散がみられるようになるのである。…
…年貢,諸役を負担する百姓身分の小農民が結集して,増徴と統制に反対する直訴(じきそ)を行うこと。一揆の歴史は中世,近世の両時代にまたがるものであり,その主体も武士,僧侶から百姓にわたっているが,近世の一揆は百姓一揆が中心である。しかし初期と幕末には,百姓一揆とは規定しがたい内容の一揆が起こった。
[百姓一揆の成立]
近世の領主権力は,中世の武士の一揆を解体して家臣団という支配機構に組み替え,また一向一揆の結末にみられるように中世百姓の一揆を壊滅させた。…
※「惣百姓一揆」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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