地黄御園(読み)じおうのみその

日本歴史地名大系 「地黄御園」の解説

地黄御園
じおうのみその

地黄御園は、本来、漢方の薬材である地黄を植栽して、朝廷に供御するために設けられた園地で、典薬寮領であった。摂津和泉に存在したが、和泉のそれは現和泉市池田下いけだしも町の山深の槙尾やまぶけのまきお川沿いにあったと推定される。

和泉国における地黄生産については、すでに天平一〇年(七三八)四月五日付の和泉監正税帳(正倉院文書)に「造地黄煎所」のことがみえているが、地黄御園の初見は、貞観一九年(八七七)二月一五日に和泉国の清和院地黄園に徭丁二〇人を充てることにしたというものである(「三代実録」元慶四年八月六日条)。次いで、延長二年(九二四)九月には、地黄御園のことに関してなんらかの事件が起こったらしく、中央から検非違使が和泉に派遣されている(「貞信公記抄」同月二二日条)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android