池田下村(読み)いけだしもむら

日本歴史地名大系 「池田下村」の解説

池田下村
いけだしもむら

[現在地名]和泉市池田下町・伏屋ふせや

坂本さかもと村・坂本新田などの南東槙尾まきお川の中・下流に位置する山方の旱損がちの村。槙尾川が村の南部から西へ流れ、槙尾山牛滝うしたき山への道が村内を貫通する。古代の和泉郡池田郷(和名抄)の遺称地。中世には奈良春日社領池田庄のうち下方(下村)に含まれていたとみられる。

村高は古検高一千二九七石余(「下村丙午ノ春御検地帳」高橋家文書)、正保二年(一六四五)は一千二九二石余(「和泉国村高帳」鬼洞文庫蔵)。寛文六年(一六六六)に隠田についての訴人があり、堺政所水野伊予守元重と彦坂平九郎が検地を施行した。その結果、田方八三町余・畑方九町三反余・屋敷四町六反余、合計九七町余(一千二七二石余)となり、古検高より二五石余(二町五反余)の減少をみた(前掲検地帳)。次いで延宝七年(一六七九)伊勢神戸藩石川氏によって新検が実施されたが、一千三一四石余(八二町三反余)と四二石余の増加はみたものの、面積は一五町歩弱の減少をきたした。その内訳は田方六九町余・畑方九町九反余・屋敷三町三反余(高橋家文書)


池田下村
いけだしもむら

[現在地名]寝屋川市池田いけだ一―三丁目・池田〈あさひ町・きた町・しん町・なか町・西にし町・ひがし町・ほん町・みなみ町〉・大利おおとし町・北大利きたおおとし町・長栄寺ちようえいじ町・若葉わかば

茨田まんだ池田村が三分して成立した一村集落は池田中村集落の南方に位置し、ふる川が集落内を南流する。下村とは池田三ヵ村のうち最も下手にあるため。貞享三年(一六八六)の永井伊賀守御知行所寺社並名所家数帳(佐太陣屋旧蔵)によると家数三七、うち役家二七・水呑一〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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