日本大百科全書(ニッポニカ) 「実躬卿記」の意味・わかりやすい解説
実躬卿記
さねみきょうき
正親町三条(おおぎまちさんじょう)実躬(1264―?)の日記。『先人記(せんじんき)』『愚林記(ぐりんき)』ともいい、名の文字(實躬)の一部をとって『貫弓記(かんきゅうき)』ともいう。1283年(弘安6)正月から1307年(徳治2)9月に至る日記71巻(清書本および稿本)と、「新日吉競馬奉行記(しんひえけいまぶぎょうき)」1巻、古文書1巻、日記断簡1巻、計74巻が実躬の自筆原本のままで三条西家に伝えられ、うち23巻は尊経閣(そんけいかく)文庫に、51巻は武田長兵衛氏文庫に収められたが、武田本は焼失したという。実躬は1295年(永仁3)蔵人頭(くろうどのとう)に補され、1316年(正和5)権大納言(ごんだいなごん)となり、翌年出家、法名を実円(じつえん)と号した。没年は不詳。浩瀚(こうかん)な日記は朝廷内、朝幕間の微妙な動静を伝え、鎌倉後期の重要史料であるばかりか、原本の紙背には院宣・摂関家の御教書(みぎょうしょ)をはじめ、実躬にかかわる文書・記録類が多く、貴重な史料である。
[田中博美]