朝日日本歴史人物事典 「坂井虎山」の解説
坂井虎山
生年:寛政10(1798)
江戸末期の儒学者。広島生まれ。名は華,字は公実,通称は百太郎。号は虎山または臥虎山人。門人が文成先生と諡した。祖父貞,父積ともに広島藩儒。幼くして藩学問所に学び,督学頼春水がその才能に期待した。長じて才学大いに進んだが,自ら足れりとせずますます刻苦研鑽した。頼山陽が京都より帰省した際,ともに文を論じて,17歳年少の虎山をほめたたえた。文政8(1825)年学問所教授に抜擢され,父祖の学職を襲った。名声はさらにあがり,入門者が多数訪れた。墓所は広島の本照寺。<著作>『杞憂策』『論語講義』『虎山詩文集』
(水田紀久)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報