城戸浦(読み)きどうら

日本歴史地名大系 「城戸浦」の解説

城戸浦
きどうら

[現在地名]小野田市大字小野田

竜王りゆうおう山の北麓の漁村。西は刈屋かりや浦と接する。萩藩領で舟木宰判の西須恵にしすえ村に属する。現在は通称で木戸と記す。

近世、刈屋浦とともに吉敷毛利氏の給領地で、「地下上申」によれば城戸・刈屋二浦で浦石四二石余、船数六三、うち漁船五七、四枚帆五、五枚帆二となっている。

「注進案」によれば、城戸は西須恵村の小村「苅屋」の一小名としてあげられており、刈屋浦と同様に「浦方ニ田畠所持之者無数、大概漁業のミ又ハ商船働仕者も有之、其外魚類荷ひ売仕者も間々御座候」であったと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む