西須恵村(読み)にしすえむら

日本歴史地名大系 「西須恵村」の解説

西須恵村
にしすえむら

[現在地名]小野田市大字小野田の一部、大字丸河内まるごうちの全域、宇部市大字東須恵ひがしすえの一部

本山もとやま半島の南半部を占め、最南端に本山岬がある。北は東須恵村(現宇部市および小野田市)北東妻崎開作つまざきかいさく(現宇部市)に接し、西と南は瀬戸内海に面する。萩藩領で舟木宰判に属し、村名は古代の須恵器の生産地であったことに由来するとされる。

貞治三年(一三六四)一〇月二〇日付の浄名寺知行分目録(「寺社証文」所収浄名寺文書)に「須恵分」とみえる。慶長五年(一六〇〇)検地帳には「須恵郷」と記す。同一五年の検地帳には「須恵村」とあり、総石高二千三〇五石余、うち田一五二町余で一千四九四石余、畠五七町余で一八八石余、百姓屋敷一七一、小物成三石、浦屋敷五三、浦浮役は二四六石余、塩浜方は二六〇石余である。

西須恵村
にしすえむら

[現在地名]長船町西須恵

現長船町の南部かつら山とたか(一八五・三メートル)とに挟まれた平地にあり、千町せんちよう川は当村から千町平野へと流れ出る。寛永備前国絵図に村名がみえ、高七二〇石余。元和―寛永期(一六一五―四四)の邑久郡物成秤帳によれば、元和七年の物成三八〇石余。正保郷帳には枝村として西谷にしだに村が載る。「備陽記」によると、田畑七三町六反余、家数一三七・人数七三二。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報