日本歴史地名大系 「西須恵村」の解説
西須恵村
にしすえむら
[現在地名]小野田市大字小野田の一部、大字丸河内 の全域、宇部市大字東須恵 の一部
貞治三年(一三六四)一〇月二〇日付の浄名寺知行分目録(「寺社証文」所収浄名寺文書)に「須恵分」とみえる。慶長五年(一六〇〇)の検地帳には「須恵郷」と記す。同一五年の検地帳には「須恵村」とあり、総石高二千三〇五石余、うち田一五二町余で一千四九四石余、畠五七町余で一八八石余、百姓屋敷一七一、小物成三石、浦屋敷五三、浦浮役は二四六石余、塩浜方は二六〇石余である。
西須恵村
にしすえむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報