20世紀日本人名事典 「堀内干城」の解説 堀内 干城ホリウチ タテキ 大正・昭和期の外交官 駐華全権公使。 生年明治22(1889)年3月7日 没年昭和26(1951)年5月17日 出生地奈良県 別名幼名=亀太郎 学歴〔年〕東亜同文書院卒,京都帝大法科大学政治学科〔大正4年〕卒 経歴大正6年外務省に入り、外務事務官、大使館一等書記官として英国、中国在勤を経て、昭和11年総領事となり、天津、北京駐在。14年東亜局長、13年大使館参事官として北京駐在、15年駐華全権公使として上海、南京などで活躍。24年退官。著書「講和問題の焦点を衝く」「中国の嵐の中で」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀内干城」の解説 堀内干城 ほりうち-たてき 1889-1951 大正-昭和時代の外交官。明治22年3月7日生まれ。外務省にはいり,天津,北京の総領事をへて昭和14年東亜局長に就任する。翌年中国公使兼上海総領事として赴任,23年帰国した。昭和26年5月28日死去。62歳。奈良県出身。京都帝大卒。著作に「中国の嵐の中で」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「堀内干城」の解説 堀内 干城 (ほりうち たてき) 生年月日:1889年3月7日大正時代;昭和時代の外交官。駐華全権公使1951年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by