コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

南京 ナンキン

9件 の用語解説(南京の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南京
ナンキン

「ナンキン (南京) 〔特別市〕」のページをご覧ください。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル大辞泉の解説

なん‐きょう〔‐キヤウ〕【南京】

南都」に同じ。

ナンキン【南京】

中国江蘇省の省都。揚子江の南岸に位置し、水陸交通の要衝。古来、三国六朝中華民国などの都として栄えた。名称は建業・建鄴(けんぎょう)・建康・金陵などに変わり、明の永楽帝のとき、北京に対して南京と称した。石油化学などの重工業が発達。人口、行政区362万(2000)。ナンチン。

カボチャの別名。
(物の名に冠して)
㋐中国から、また東南アジアから中国を経て渡来したものの意を表す。「南京米」「南京豆」
㋑珍しいもの、小さくて可愛いものの意を表す。「南京玉」「南京鼠(ねずみ)」

出典|小学館 この辞書の凡例を見る
監修:松村明
編集委員:池上秋彦、金田弘、杉崎一雄、鈴木丹士郎、中嶋尚、林巨樹、飛田良文
編集協力:曽根脩
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

百科事典マイペディアの解説

南京【ナンキン】

中国,江蘇省南西部,長江右岸にある同省の省都。古くから江南の一大中心で,京滬(けいこ)(北京〜上海)・寧銅(南京〜銅陵)2鉄路が交差し,長江下流水運の要地。市街は不規則で明代に築かれた高さ13〜15m,周囲34kmの城壁で囲まれ,政治・文化・教育の各施設が多い。
→関連項目江蘇[省]

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

世界大百科事典 第2版の解説

ナンキン【南京 Nán jīng】

中国,江蘇省の省都。簡称は寧(ねい)。〈南京(なんけい)〉とはもともと,北京(ほくけい),東京(とうけい)などと同じく,複数の都が置かれたときの相対的な位置を示すもので,歴史上では現在の南京市ばかりをいうのではない。たとえば唐は四川の成都を,契丹は遼寧の遼陽を,宋は河南の宋州を,南京と称した。今の南京市の名は明初に始まる。また金陵,江寧,白下などの別称も多い。日本での通称〈ナンキン〉は南方方言音が,長崎などを経由して入り広まったものである。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

大辞林 第三版の解説

なんきょう【南京】

平城京。南都。 ↔ 北京ほつきよう

ナンキン【南京】

◇ 中国、江蘇省の省都。長江下流南岸に位置する。水陸交通の要衝で機械・化学・鉄鋼などの工業が発達。古く金陵・建業・建康などともいわれ、明代に北京に対し南京と称した。1927年以後は国民政府の首都であった。ナンチン。
他の語の上に付いて、中国または中国を経て渡来したものであることを表す。 「 -豆」 「 -袋」
カボチャの、主に関西での言い方。
「南京焼」の略。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

南京
なんきん / ナンチン

中国、江蘇(こうそ/チヤンスー)省の省都。同省南西部の揚子江(ようすこう/ヤンツーチヤン)(長江(ちょうこう/チャンチヤン))が北東から東へ流れを変える屈曲点に位置する。市域は鼓楼(ころう)、玄武、栖霞(せいか)など11市轄区と六合(りくごう)(りつすい)、江浦(こうほ)、高淳(こうじゅん)の4県からなる。人口544万8885、市轄区人口289万5144(2000)。地形は低山、丘陵、河谷、平野が交錯して複雑な様相を呈するが、全体としては三方が低山、丘陵に囲まれ、一方が揚子江に面する河谷盆地である。市域は南西から北東に流れる揚子江によって二分され、揚子江の北側は(じょが)水系に、南側は秦淮河(しんわいが)水系に属し、石臼(せききゅう)湖、固城湖、莫愁(ばくしゅう)湖、玄武湖などの湖沼がある。気候は温暖湿潤気候区に属し四季が明瞭(めいりょう)で、年平均気温は15.4℃だが、盆地のため夏の最高気温は43℃に達する。
 1908年以後、滬寧(こねい)、津浦(しんぽ)、寧蕪(ねいぶ)の各鉄道が次々に開通し、揚子江下流部における水陸交通の要衝としての地位を確立した。68年には揚子江南岸の下関と北岸の浦口を結ぶ、鉄道・道路併用で二層式の長江大橋が完成した。下関と浦口からなる南京港は中国最大の河港で、揚子江水運の要(かなめ)となっている。1万トン級の外航船が停泊可能なバースが9か所あり、3万トン級の船も停泊できる。もともと政治・消費都市的性格が強く、工業の基盤は脆弱(ぜいじゃく)で、軽工業が中心であったが、解放後、南京製鉄所をはじめ石油化学、化学肥料、造船、電機、機械など重化学工業が発達した。工業は市の経済総生産額の9割近くを占め、重工業の比率が高い。主要な工業地区は揚子江の沿岸と近郊にあり、揚子江北岸の大廠鎮(だいしょうちん)、南岸の燕子磯(えんしき)、栖霞山、甘家巷(かんかこう)に広がる石油化学工場群は全国有数の規模をもつ。近郊の平野では野菜生産が盛んで、丘陵部ではリンゴ、モモ、ナシなどの果樹が多く、乳牛の飼育も盛んである。市街地の緑化率は30.1%と高く、緑化運動が盛んで「花園都市」の称がある。繁華街は新街口、健康路、鼓楼付近である。東方の紫金山(しきんざん/ツーチンシャン)には中国最初の天文台、孫文(そんぶん/スンウェン)の陵墓である中山(ちゅうざん)陵、革命記念塔、明孝陵(明(みん)の太祖の陵墓)、霊谷寺がある。ほかに革命記念地として梅園新村、雨花台、名勝として玄武湖、燕子磯、莫愁湖などがある。[林 和生]

歴史

戦国時代の楚(そ)の金陵邑(きんりょうゆう)、三国時代、呉の建業県、晋(しん)の建(けんぎょう)県、南朝時代の建康県、隋(ずい)の江寧(こうねい)県、唐初めの帰化県または金陵県、のちに上元県・江寧県、宋(そう)・元(げん)もこれに倣い、明(みん)・清(しん)の南京、中華民国のときの江寧県または首都市にあたる。この間、晋の揚州・丹陽郡、隋の蒋州(しょうしゅう)・丹陽郡、唐の揚州・江寧郡・昇州、宋の建康府、元の建康路・集慶路、清の江寧府などの首邑(しゅゆう)となった。いまも城内を流れている秦淮河(しんわいが)が、秦の始皇帝のとき掘られたと伝えられているが、史上に登場するのは、後漢(ごかん)の名将孫権がここで挙兵し、やがて独立、三国時代の呉を建国(229)してからである。当時の都城は現在の城の西部にあたり、周囲約12キロメートル、沃地(よくち)に囲まれた要害の地として、魏(ぎ)の曹操(そうそう)、蜀(しょく)の諸葛孔明(しょかつこうめい)をうらやましがらせたという。のち、晋の一族が逃れてきて、ここに東晋を興した(317)のもそのためで、以後、南朝の宋、斉(せい)、梁(りょう)、陳もすべてここに興亡した。その間、約250年、北朝に対抗して政治的には安定を欠いたが、中国文化の伝統を継承し、発展させて、いわゆる六朝(りくちょう)文化の中心となり、また、揚子江畔の経済開発の基地となって、黄河畔の都市に勝るとも劣らぬ繁栄をみせた。六朝文化の名声は、日本、朝鮮、南海にも知られ、梁のときには、28万戸、人口140万を擁した大都会であった。ただ、その末期(548)侯景(こうけい)の乱の破壊はひどく、貴顕豪族が自ら鋤(すき)をとる惨状を呈した。陳のときに復興し、その伝統を推進したので、北朝から出た隋が陳を滅ぼしたときでも、この地は10万戸、50万人を擁し、陽(洛陽)(らくよう)、長安に劣らず繁栄していた。
 唐・宋代には、揚州、蘇州(そしゅう)、杭州(こうしゅう)など近くに新たな都市がおこり、ともに唐・宋文化の一翼を担い、元代にも古都の面目を保った。明は、史上初めて江南を基礎に統一国家をつくったので、1404年ここに周囲52キロメートルの都城を築き、北京(ペキン)に遷都してからも準国都として、北京に準ずる施設を置き、軍・官・民の街区が整然と機能する大都市として営まれた。清末、アヘン戦争、太平天国運動のとき、明代の豪華建築は兵火を受け、中華民国成立後も革命勢力の本拠となることが多かった。1926年蒋介石(しょうかいせき/チヤンチエシー)の国民政府は、人口100万の近代都市に変貌(へんぼう)させた。日中戦争では、1937年12月日本軍が占領し、大虐殺(南京大虐殺)を行った。[星 斌夫]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

図書館情報学用語辞典の解説

南京

針金とじ,厚表紙,背クロスを特徴とした,本製本と仮製本との中間的な製本様式.

出典|図書館情報学用語辞典 第4版
©All Rights Reserved, Copyright Nihon Toshokan Joho Gakkai, 2013 編者:日本図書館情報学会用語辞典編集委員会 編
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の南京の言及

【奈良[市]】より

…それぞれ堂塔のほか,多数の社人や寺人をかかえており,四壁(境内)を越えて近傍の占有を競った。ここでは俗生活が許されたのでサト(里,郷)といわれるが,諸郷は平城古京の条坊制に沿って整然たる区画の街地に発達して社寺の都の観を呈し,王朝貴族はこれを南京,南都と呼んだ。やがて奈良が正称とされ,南都(南京)は雅称となる。…

【江蘇[省]】より

…この中には中央直轄の上海市の分は含まれていない。13地級市,31県級市,33県からなり省都は南京市。山東・浙江・安徽の3省と隣接し,全国総面積の1.05%に当たる。…

【明】より


【王朝の創建と政治】
 元朝の末期,政治の混乱に乗じてモンゴル人の支配に反抗する群雄が各地に割拠したが,なかでも明教,白蓮教を奉ずる紅巾軍が最大の勢力であった(紅巾の乱)。その中から身を起こし,金陵(後の南京)を根拠として,西の陳友諒,東の張士誠らの強敵を下し,1368年明朝を建てて帝位についたのが朱元璋で,年号によって洪武帝とよばれる。全国統一が一応完成するのは,71年の四川平定をまたねばならないが,華中から興って全国を統一したのは,明朝が史上最初である。…

【南京】より

…簡称は寧(ねい)。〈南京(なんけい)〉とはもともと,北京(ほくけい),東京(とうけい)などと同じく,複数の都が置かれたときの相対的な位置を示すもので,歴史上では現在の南京市ばかりをいうのではない。たとえば唐は四川の成都を,契丹は遼寧の遼陽を,宋は河南の宋州を,南京と称した。…

※「南京」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

南京の関連キーワード中央中里中田中野中山町中根中台中尾ひょうど中町

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

南京の関連情報