南京(読み)ナンキン

デジタル大辞泉 「南京」の意味・読み・例文・類語

ナンキン【南京】

中国江蘇省の省都。揚子江の南岸に位置し、水陸交通の要衝。古来、三国六朝中華民国などの都として栄えた。名称は建業・建鄴けんぎょう・建康・金陵などに変わり、明の永楽帝のとき、北京に対して南京と称した。石油化学などの重工業が発達。人口、行政区362万(2000)。ナンチン

カボチャの別名。
(物の名に冠して)
㋐中国から、また東南アジアから中国を経て渡来したものの意を表す。「南京米」「南京豆」
㋑珍しいもの、小さくて可愛いものの意を表す。「南京玉」「南京ねずみ

なん‐きょう〔‐キヤウ〕【南京】

南都」に同じ。

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精選版 日本国語大辞典 「南京」の意味・読み・例文・類語

なんきん【南京】

  1. ( 「きん」は「京」の唐宋音 )
  2. [ 1 ]
    1. [ 一 ] 中国、江蘇省の省都。揚子江下流の曲流点の江浙デルタの頂点に位置する。水陸交通の中心地で、名産の南京繻子などのほか重化学工業も発達している。戦国時代の楚の金陵にあたり、三国の呉および南朝諸王朝では都の建康の地にあたる。明の永楽帝の時北京に対して称した。近世、このあたりの地一帯、ひいては中国のことをもいった。
      1. [初出の実例]「こまかに心を付てみしに、是も南京(ナンキン)より渡せし菓子」(出典:浮世草子・日本永代蔵(1688)五)
    2. [ 二 ] 中国の唐の天宝一五年(七五六)、現在の四川省成都市に臨時に置かれた都の名。安祿山の乱に玄宗が避難した所。
  3. [ 2 ] 〘 名詞 〙
    1. 中国人の別称。
      1. [初出の実例]「支那(ナンキン)人、或は日本の日雇人など」(出典:横浜新報もしほ草‐明治元年(1868)九月一〇日)
    2. あほう。まぬけ。ばか。
      1. [初出の実例]「なんきんやの・手拭黒繻子へかぶせ」(出典:雑俳・あふむ石(1839))
    3. 植物「カボチャ」の異名。《 季語・秋 》 〔物類称呼(1775)〕
    4. なんきんねずみ(南京鼠)」の略。
      1. [初出の実例]「鼷(はつか)鼠は人の害をなすこと鼠の如し、小さき故に防ぎ難し、此種類にて『ナンキン』といふは人の畜(か)ふものなり」(出典:博物図教授法(1876‐77)〈安倍為任〉二)
    5. なんきんやき(南京焼)」の略。
      1. [初出の実例]「南京のさしみ皿十枚」(出典:浮世草子・世間胸算用(1692)五)
    6. なんきんせん(南京銭)」の略。
      1. [初出の実例]「此の年銭に南金(ナンキン)と云銭出き候て」(出典:勝山記‐天文二四年(1555))
    7. なんきんあやつり(南京操)」の略。
      1. [初出の実例]「南京の木偶見るやうな鵜飼船」(出典:雑俳・冬木立(1731))
    8. なんきんじゅす(南京繻子)」の略。
      1. [初出の実例]「いきな小もんにななこのうらゑりなんきんのはをり」(出典:洒落本・駅舎三友(1779)茶屋)
  4. [ 3 ] 〘 造語要素 〙 ( 物の名などに冠して )
    1. 中国産のもの、または中国方面から渡来したものの意を表わす。「南京米」「南京繻子(じゅす)」など。
    2. 珍しいもの、または小さくかわいらしいものの意を表わす。「南京玉」「南京鼠」など。

なん‐きょう‥キャウ【南京】

  1. [ 一 ] 平城京の別称。平安京を北京(ほっきょう)と呼ぶのに対する。南都。
    1. [初出の実例]「すべて天台の菩薩戒も南京の声聞戒もみなこれ仏法の命をつぐなり」(出典:観智院本三宝絵(984)下)
  2. [ 二 ]なんちょう(南朝)[ 三 ]
    1. [初出の実例]「南京文中三年、北朝応安七年」(出典:南方紀伝(18C前か)下)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「南京」の意味・わかりやすい解説

南京
なんきん / ナンチン

中国、江蘇(こうそ)省にある副省級市(省と同程度の自主権を与えられた地級市)で、同省の省都。略称は寧。金陵(きんりょう)ともよばれる。同省南西部の揚子江(ようすこう)(長江(ちょうこう))が北東から東へ流れを変える屈曲点に位置する。鼓楼(ころう)、玄武(げんぶ)、棲霞(せいか)、六合(りくごう)、溧水(りつすい)、浦口(ほこう)、高淳(こうじゅん)など11市轄区を管轄する(2017年時点)。人口662万7900(2016)。

 地形は低山、丘陵、河谷、平野が交錯して複雑な様相を呈するが、全体としては三方が低山、丘陵に囲まれ、一方が揚子江に面する河谷盆地である。市域は南西から北東に流れる揚子江によって二分され、揚子江の北側は滁河(じょが)水系に、南側は秦淮河(しんわいが)水系に属し、石臼湖(せききゅうこ)、固城湖、莫愁湖(ばくしゅうこ)、玄武湖などの湖沼がある。気候は温暖湿潤気候区に属し四季が明瞭で、年平均気温は15.4℃であるが、盆地のため夏の最高気温は43℃に達する。年降水量は1106ミリメートル。1978年に名古屋市と姉妹都市提携を結んだが、歴史認識問題によって2012年以降は交流が途絶えている。

[林 和生・編集部 2018年1月19日]

歴史

戦国時代の楚(そ)の金陵邑(ゆう)、三国時代、呉の建業(けんぎょう)県、晋(しん)の建鄴(けんぎょう)県、南朝時代の建康(けんこう)県、隋(ずい)の江寧(こうねい)県、唐初めの帰化(きか)県または金陵県、のちに上元県・江寧(こうねい)県、宋(そう)・元もこれに倣い、明(みん)・清(しん)の南京、中華民国のときの江寧県または首都市にあたる。この間、晋の揚州(ようしゅう)・丹陽(たんよう)郡、隋の蒋州(しょうしゅう)・丹陽郡、唐の揚州・江寧郡・昇州、宋の建康府、元の建康路・集慶路、清の江寧府などの首邑となった。

 いまも城内を流れている秦淮河は、秦の始皇帝のとき掘られたと伝えられているが、史上に登場するのは、後漢(ごかん)の名将孫権がここで挙兵し、やがて独立、三国時代の呉を建国(229)してからである。当時の都城は現在の城の西部にあたり、周囲約12キロメートル、沃地に囲まれた要害の地として、魏(ぎ)の曹操(そうそう)、蜀(しょく)の諸葛孔明(しょかつこうめい)(諸葛亮(しょかつりょう))をうらやましがらせたという。のち、晋の一族が逃れてきて、ここに東晋を興した(317)のもそのためで、以後、南朝の宋、斉(せい)、梁(りょう)、陳もすべてここに興亡した。その間、約250年、北朝に対抗して政治的には安定を欠いたが、中国文化の伝統を継承し、発展させて、いわゆる六朝(りくちょう)文化の中心となり、また、揚子江畔の経済開発の基地となって、黄河畔の都市に勝るとも劣らぬ繁栄をみせた。六朝文化の名声は、日本、朝鮮、南海にも知られ、梁のときには、28万戸、人口140万を擁した大都会であった。ただ、その末期(548)に起きた侯景(こうけい)の乱の破壊はひどく、貴顕豪族が自ら鋤(すき)をとる惨状を呈した。陳のときに復興し、その伝統を推進したので、北朝から出た隋が陳を滅ぼしたときでも、この地は10万戸、50万人を擁し、雒陽(らくよう)(洛陽)、長安に劣らず繁栄していた。

 唐・宋代には、揚州、蘇州(そしゅう)、杭州(こうしゅう)など近くに新たな都市がおこり、ともに唐・宋文化の一翼を担い、元代にも古都の面目を保った。明は、史上初めて江南を基礎に統一国家をつくったので、1404年ここに周囲52キロメートルの都城を築き、北京(ペキン)に遷都してからも準国都として、北京に準ずる施設を置き、軍・官・民の街区が整然と機能する大都市として営まれた。

 清末、アヘン戦争太平天国運動のとき、明代の豪華建築は兵火を受け、中華民国成立後も革命勢力の本拠となることが多かった。1927年蒋介石(しょうかいせき)の国民政府の首都となり、1937年には人口100万の近代都市に変貌した。日中戦争では、1937年12月日本軍が占領した。

[星 斌夫 2018年1月19日]

産業・交通

1908年以後、滬寧(こねい)線、津浦(しんぽ)線(ともに現、京滬線)、寧蕪線(南京―蕪湖(ぶこ))の各鉄道が次々に開通し、揚子江下流部における水陸交通の要衝としての地位を確立した。1968年には揚子江南岸の下関(かかん)(現、鼓楼)と北岸の浦口を結ぶ、鉄道・道路併用で二層式の長江大橋が完成した。2000年代以降も寧啓線(南京―南通(なんつう))、寧西線(南京―西安(せいあん))などの鉄道が開通している。鼓楼と浦口からなる南京港は中国最大の河港で、揚子江水運の要(かなめ)となっており、2015年時点で5万トン級の外航船が停泊可能なバース(係留地)が42か所ある。また、市郊外には1997年開港の南京禄口(ろくこう)国際空港がある。

 もともと政治・消費都市的性格が強く、工業の基盤は脆弱(ぜいじゃく)で、軽工業が中心であったが、中華人民共和国成立後、南京製鉄所をはじめとする鉄鋼や石油化学、自動車、電子機器など重化学工業が発達した。1990年代には外資企業誘致のため、税制優遇措置を伴う四つの国家級開発区(南京ハイテク産業開発区、南京経済技術開発区、江寧経済技術開発区、南京化学工業園区)が設置された。近郊の平野では野菜生産が盛んで、丘陵部ではリンゴ、モモ、ナシなどの果樹が多く、乳牛の飼育も盛んである。特産品には、2009年ユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録された南京雲錦(うんきん)、めのうの一種である雨花石(うかせき)、緑茶の雨花茶などがある。

[林 和生・編集部 2018年1月19日]

文化・観光

中国六大古都の一つであり、歴史上の人物の墓が多数現存する。なかでも明の太祖朱元璋(しゅげんしょう)の陵墓である明孝陵と、その周辺に点在する徐達(じょたつ)ら忠臣の墓は、2000年「明・清王朝の皇帝陵墓群」の構成資産として、世界遺産の文化遺産に登録されている(世界文化遺産)。このほかにも、孫文(そんぶん)の墓である中山陵や南唐二陵、三国時代の詩人阮籍(げんせき)、明の武将鄭和(ていわ)の墓などがある。

 蒋介石と宋美齢(そうびれい)の官邸であった美齢宮や旧総統府など、中華民国時代の歴史的建造物が残る。また、中華民国の公文書を保存する中国第二歴史档案館(とうあんかん)があり、日本人研究者の利用も多い。革命記念地として梅園新村、雨花台なども有名。

[周 俊 2018年1月19日]

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百科事典マイペディア 「南京」の意味・わかりやすい解説

南京【ナンキン】

中国,江蘇省南西部,長江右岸にある同省の省都。古くから江南の一大中心で,京滬(けいこ)(北京〜上海)・寧銅(南京〜銅陵)2鉄路が交差し,長江下流水運の要地。市街は不規則で明代に築かれた高さ13〜15m,周囲34kmの城壁で囲まれ,政治・文化・教育の各施設が多い。南京繻子(しゅす)などの絹織物が特産。解放後は化学,機械,鉄鋼,食品加工等が盛んとなり,現在は自動車,電子など技術集約産業への転換を図っている。東郊の紫金山,南郊の雨花台,西郊の清涼山や,孫文の墓中山陵,洪武帝の孝陵等の名勝史跡,紫金山天文台,南京大学がある。歴史的には229年呉の孫権がここを都として建業と名づけ,のち建【ぎょう】,建康と改め,317年晋の都,南朝では宋・斉・梁・陳4代の国都となった。唐代には金陵・白下と改名,五代には南唐の都となり,明の洪武帝は1356年ここに都し,応天府と呼んだ。のち南京と改名された。1927年―1935年と1945年―1949年,国民政府の首都。日中戦争中の1937年,日本軍による南京攻略戦が行われ,いわゆる南京大虐殺を引き起こした。人口639万人(2014)。
→関連項目江蘇[省]

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図書館情報学用語辞典 第5版 「南京」の解説

南京

針金とじ,厚表紙,背クロスを特徴とした,本製本と仮製本との中間的な製本様式.南京とじともいう.

出典 図書館情報学用語辞典 第4版図書館情報学用語辞典 第5版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「南京」の解説

南京(ナンキン)
Nanjing[中],Nanking[英]

中国江蘇省の省都。中国七大都市の一つ。長江南岸に面する水陸交通の要衝で,戦国時代から開かれた。その後三国の呉,東晋,宋,斉,梁(りょう),陳,南唐,明,太平天国の9王朝の首都となり,名称も建康,建鄴(けんぎょう),金陵(きんりょう),江寧(こうねい),天京(てんけい)などと変わった。1842年にはアヘン戦争の講和条約である南京条約が結ばれ,58年天津条約で開港した。1927年,蒋介石(しょうかいせき)がここを国民政府の拠点と定めて以来,日中戦争時期の8年間を除けば49年に人民解放軍の攻撃で陥落するまで中華民国の首都であり続けた。

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旺文社世界史事典 三訂版 「南京」の解説

南京
ナンキン
Nánjīng

中国江蘇省の南西部,長江南岸にある都市
三国時代の呉の孫権がここに都を置き,建業と名づけた。東晋代に建康と改められ,東晋および南朝の首都として南朝文化の中心地となった。五代の呉はここを金陵と呼んで都とし,ついで南唐の都となった。明の洪武帝のとき,京師 (けいし) ,ついで南京と呼んで都としたが,北京遷都後も南方鎮護の副都として栄えた。太平天国はここに都して天京 (てんけい) と称した。アロー戦争後の天津条約によって開港市となった。中華民国の成立後,1927年蔣介石 (しようかいせき) はここに国民政府を置いたが,日中戦争中に日本軍の侵攻により市街は破壊され,虐殺により市民の人口も減った。長江沿岸に位置する最大の要地で,絹織物を中心とする商工業都市でもある。

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動植物名よみかた辞典 普及版 「南京」の解説

南京 (ナンキン)

植物。ウリ科のつる性一年草,園芸植物,薬用植物。カボチャの別称

出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「南京」の意味・わかりやすい解説

南京
ナンキン

「ナンキン(南京)特別市」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の南京の言及

【奈良[市]】より

…それぞれ堂塔のほか,多数の社人や寺人をかかえており,四壁(境内)を越えて近傍の占有を競った。ここでは俗生活が許されたのでサト(里,郷)といわれるが,諸郷は平城古京の条坊制に沿って整然たる区画の街地に発達して社寺の都の観を呈し,王朝貴族はこれを南京,南都と呼んだ。やがて奈良が正称とされ,南都(南京)は雅称となる。…

【南京】より

…簡称は寧(ねい)。〈南京(なんけい)〉とはもともと,北京(ほくけい),東京(とうけい)などと同じく,複数の都が置かれたときの相対的な位置を示すもので,歴史上では現在の南京市ばかりをいうのではない。たとえば唐は四川の成都を,契丹は遼寧の遼陽を,宋は河南の宋州を,南京と称した。…

※「南京」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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