堀川新三郎(読み)ほりかわ・しんざぶろう

朝日日本歴史人物事典 「堀川新三郎」の解説

堀川新三郎

没年:大正3.10.27(1914)
生年嘉永4.9.3(1851.9.27)
明治期の染色業者。大坂生まれ。同地の洋反物問屋笠井商店の手代を勤める間に,京都白川筋の染工場広行社を知る。別家独立後の明治12(1879)年,広行社染工場の経営を引き継ぎ,染色業の経営を始めた。輸入モスリン生地に友禅模様を染め抜く「写染法」を考案。モスリン友禅と称されるその製品は,文様染モスリンの輸入代替に貢献し,その染色法は木綿型付けなどにも応用された。30年に欧米視察にでかけ,イギリスから捺染機械購入。日本における機械捺染業の先がけとなったが,晩年は事業に蹉跌をきたし,不遇のうちに病没した。明治期日本において,先進技術の導入,受容に邁進した事業家兼技術者の軌跡がうかがえる。<参考文献>明石厚明『日本機械捺染史』

(谷本雅之)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「堀川新三郎」の解説

堀川新三郎 ほりかわ-しんざぶろう

1851-1914 明治時代の染色業者。
嘉永(かえい)4年9月3日生まれ。京都で広行社染工場をひきつぐ。明治14年ごろ写糊(うつしのり)と型紙を考案し,輸入モスリン生地の文様染めに成功,製品はモスリン友禅とよばれた。31年イギリスから捺染(なっせん)機械を購入,堀川捺染工場をひらき機械捺染業の先駆けとなった。大正3年10月27日死去。64歳。大坂出身。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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