日本歴史地名大系 「堀河院跡」の解説 堀河院跡ほりかわいんあと 京都市:中京区城巽学区土橋町堀河院跡平安時代前期の公卿藤原基経の邸宅。この邸に住したため基経は堀河太政大臣ともよばれた。「拾芥抄」は、「二条南堀川東、南北二町、昭宣公家、忠義公伝領」と記す。同書東京図も同じく、閑院(かんいん)の西、蛟松殿(はいまつどの)の北二町をあてる。これは現土橋(つちばし)町・押堀(おしほり)町の大部分と、二条油小路(にじようあぶらのこうじ)町・押油小路(おしあぶらのこうじ)町・森(もり)ノ木(き)町・矢幡(やはた)町の一部にあたる。堀河院に住した基経については「三代実録」元慶七年(八八三)一〇月九日条に「先是太政大臣基経頻抗表請停摂政、累月不視事、勅遂不聴、是日弁史参堀河辺第、白庶事云々」と記す。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by