土橋町(読み)つちはしちよう

日本歴史地名大系 「土橋町」の解説

土橋町
つちはしちよう

[現在地名]八幡市八幡土井

北の常盤ときわ町から全昌寺橋ぜんしようじばし筋までの常盤道西側および常盤道以西の全昌寺橋筋北片側の町並。町名の由来は不詳であるが、一説家田いえだ町の東を北に流れる小川が常盤道を東西に横切り放生ほうじよう川へ注ぐため、同道に土橋があったのでその名をつけたとある(男山考古録)

石清水いわしみず八幡宮の社士・神人らの居住はなく、地子負担も道久・助一・与三郎・又介・左衛門尉・藤兵衛・与三郎・念仏堂の八軒合わせて四・六四石の小町であった(慶長五年指出帳「石清水八幡宮史」所引)


土橋町
どばしまち

[現在地名]上越市北本きたほん町一丁目

寄大工よりだいく町の北に続く西裏町にしうらまち通の町。東は下紺屋しもこんや町。正徳年間(一七一一―一六)の高田町各町記録(榊原家文書)に「土橋町と申名由緒、高田越已来つち小橋有之、其後町家出来申候ニ付土橋町と申伝候」とある。天和期(一六八一―八四)の調では役を負担する町で、下紺屋町名主支配(頸城郡誌稿)。高田町各町記録によると井戸数二六、町料理人一人が居住。当町源兵衛は三五石積の船一艘を所持、直江津砂山すなやま町次左衛門に預けている。寛保二年(一七四二)には家数三八、刃物鍛冶はものかじ町名主支配(頸城郡誌稿)長浜ながはま村で産する塩を扱う問屋を長浜問屋といい、営業権は当町と下紺屋町のみに許されていた。


土橋町
つちはしちよう

下京区七条通油小路西入

町の北側は東西に通る七条通(旧七条大路)、南は下魚棚しもうおのたな通、東は南北に通る油小路あぶらのこうじ(旧油小路)、西側は堀川ほりかわ通に囲まれる。

平安京の条坊では左京八条二坊四保九町北側、平安中期以降は七条油小路西南の地。

寛永一四年(一六三七)洛中絵図以後の諸絵図に「土はし丁」とあるが、「仕丁町」とも称せられたらしく寛文五年(一六六五)刊「京雀」は七条通の「油のこうぢにしへ」に「仕丁じちやう町」と記し、「都すゞめ案内者」「京雀跡追」も同じく「仕丁町」と記す。「坊目誌」は、西本願寺の輿丁が当町に居住していたことによるとする。また土橋町の名は町内の七条堀川橋が初め木桁土橋であったことに由来するという。


土橋町
つちはしちよう

[現在地名]大津市長等ながら二丁目

下北国しもほつこく町の東裏手にある。町名は百々どど川に架けられていた土橋に由来するという。天和二年(一六八二)の本堂奉加帳(九品寺文書)に町名がみえ、元禄八年町絵図では家数四一、これには明屋敷と番屋(町之家)が含まれる。「輿地志略」によれば四宮しのみや町とともに幕府公許の芝居小屋がかけられ、芝居名代(興行権)柴屋しばや町の宇治津大夫がもっていた。ただし常打ちではなく、石山いしやま寺開帳などの際に芝居がかけられた。


土橋町
どばしまち

[現在地名]彦根市銀座町ぎんざちよう中央町ちゆうおうちよう

河原かわら町の西、高宮たかみや口御門付近にあり、南方には足軽町が続く。町名は外堀に架かる土橋に由来する。元禄八年大洞弁天寄進帳に町名がみえ、軒数二四のうち借家一一、男八三・女五三、諸職諸商は一一種二〇軒で、米屋七のほか鍋屋・炭屋・木綿屋など、町代は米屋、横目は酒屋が勤めている。

安永七年(一七七八)の万留書(彦根市史)では町代・横目二軒ほか年貢地一六軒。朝鮮通信使来訪に伴う享和―文化期(一八〇一―一八)の公儀見分朝鮮人案内(同書)によれば町の長さは南側七六間・北側四四間余で、家数一七・竈数(記載なし)、人数九四。


土橋町
つちばしちよう

中京区堀川通二条下ル

南北に通る堀川ほりかわ(旧堀川小路)の片側町。南側を押小路おしこうじ(旧押小路)が通る。

平安京の条坊では左京三条二坊四保九町の西。平安中期以降は二条堀川小路の南側にあたる。平安時代堀河院ほりかわいんの域内にあたる(拾芥抄)

町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「堀川土橋下ノ町」、元禄末期洛中絵図に「二条堀川土橋下ル丁」とある。木版図系の寛永一八年以前平安城町並図に「土橋下丁」、寛永版平安城東西南北町並之図に「二条土橋」、寛文五年(一六六五)刊「京雀」に「土橋丁」とある。

「坊目誌」によれば「二条堀河の橋始め土橋なり故に名とす。


土橋町
どばしまち

[現在地名]米沢市春日かすが三丁目

最上街道に沿い、南はなが町、北はきた町に接する下級家臣屋敷町。土橋番匠どばしばんしよう町とも称する(享保一〇年城下絵図ほか)。享保一〇年(一七二五)の城下書上によれば町の長さ一町三八間半・道幅五間半・屋敷数三〇。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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