日本歴史地名大系 「堅浦村」の解説 堅浦村かたうらむら 大分県:津久見市堅浦村[現在地名]津久見市堅浦・長目(ながめ)徳浦(とくうら)村の東、津久見湾の湾奥北部に位置する。東は長目浦(ながめうら)村。村内には鯖網代(さばあじろ)・尾崎(おさき)・小迫(こさこ)・浦代(うらしろ)・浦尻(うらしり)などの集落があるが、鯖網代は宝徳二年(一四五〇)四月一日の薬師寺新九郎給所坪付(薬師寺文書)に「鯖網代 畠二段半 分銭五百文」とみえる。また浦尻は天文二二年(一五五三)九月二〇日の佐賀郷関公領地検帳(早吸日女神社文書)に早吸日女(はやすいひめ)神社(現佐賀関町)領の一所として「浦尻 納所あり、薬師寺備後抱」とある。江戸時代は臼杵藩領で、初め津久見村組(慶長一一年惣御高頭御帳)、のち松崎組に属した(「臼杵藩御会所日記」など)。慶長二年(一五九七)の臼杵庄検地帳写(渡辺家文書)に村名がみえ、高一五〇石余(田方六四石余・畑方八五石余)、村位は下。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by