文治元年(一一八五)建礼門院(平徳子)がこの寂光院の傍らに庵をむすび、壇之浦で滅亡した平家一門とわが子安徳天皇の菩提を弔いつつ日々を過ごしたのも、この地が伝統的な隠棲の地であったことによるものであろう。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都市左京区大原草生(おおはらくさお)町にある天台宗の尼寺。山号は清香山(せいこうさん)。寺伝では聖徳太子の開創というが、空海または良忍(りょうにん)が開いたとも伝えられる。本尊は6万体の小像が刻まれた木像地蔵菩薩(じぞうぼさつ)立像で国の重要文化財。1185年(文治1)、壇ノ浦の戦いで平氏滅亡してのち、建礼門院(けんれいもんいん)平徳子(とくこ)(清盛(きよもり)の女(むすめ))が隠棲(いんせい)し、高倉(たかくら)天皇と安徳(あんとく)天皇ほか平家一門の冥福(めいふく)を祈った寺。この女院のわび住まいを見舞うため後白河(ごしらかわ)法王が行幸された故事は、『平家物語』灌頂(かんじょう)巻や謡曲の『大原御幸(おはらごこう)』で名高い。また本堂内にある阿波内侍(あわのないし)(建礼門院の侍女)の張り子の像は、平氏一門の書簡でつくられたという。寺はのちに荒廃したが、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)豊臣(とよとみ)秀吉の側室淀君(よどぎみ)の本願により片桐且元(かたぎりかつもと)が堂宇を再興した。2000年(平成12)5月火災により本堂を焼失、本尊は焼損した。閑寂な仙境で、背後の山には建礼門院の墓所、大原西陵(にしりょう)がある。
[平井俊榮]
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