寂光院(読み)じゃっこういん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

寂光院
じゃっこういん

京都市左京区大原にある天台宗尼寺開基聖徳太子と伝えられる。本尊地蔵菩薩立像で,像内に 3000をこえる地蔵菩薩小像や経典などを納めており (→胎内仏 ) ,1986年国の重要文化財に指定されている。壇ノ浦の合戦後,出家した建礼門院平徳子がこの寺に閉居し高倉天皇ならびに安徳天皇追善供養をした。堂内にある阿波内侍張り子の像は,平家一門から贈られた書簡でつくったものとして有名。 2000年5月,慶長年間 (1596~1616) に再建されたといわれる本堂が火災で炎上,本尊も焼失した。

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百科事典マイペディアの解説

寂光院【じゃっこういん】

京都市左京区大原にある天台宗の尼寺。本尊地蔵菩薩。創建については聖徳太子,良忍等といわれるが確証はない。現在の建物は慶長年間(1596年―1615年)に淀君の願によって片桐且元が再興したものであるが,2000年5月,本堂は焼失した。平家滅亡後,一門の冥福をとむらう建礼門院を後白河法皇が訪れた〈大原御幸〉は《平家物語》の中でも有名な話である。
→関連項目大原京都[市]

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世界大百科事典 第2版の解説

じゃっこういん【寂光院】

京都市左京区大原にある天台宗の尼寺。寺伝では聖徳太子の創建という。平家滅亡後,建礼門院が当地に隠棲して一門の菩提を弔い,これを哀れんだ後白河法皇が臨幸した平家の哀話は,《平家物語》や能の《大原御幸おはらごこう)》によって名高い。寺境は閑静で,境内にはいまも《平家物語》にちなむ種々の旧跡が残り,寺の背後に建礼門陵(大原西陵)がある。本堂には本尊地蔵菩薩のほか,建礼門院木像,平家一門の手紙で造られたという阿波内侍(あわのないし)張子像などが安置されている。

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大辞林 第三版の解説

じゃっこういん【寂光院】

京都市左京区大原にある天台宗の尼寺。聖徳太子の創立という。平家滅亡後、安徳天皇の母建礼門院が出家して隠棲した寺。本尊は六万体腹籠りの地蔵菩薩。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

寂光院
じゃっこういん

京都市左京区大原草生(おおはらくさお)町にある天台宗の尼寺。山号は清香山(せいこうさん)。寺伝では聖徳太子の開創というが、空海または良忍(りょうにん)が開いたとも伝えられる。本尊は6万体の小像が刻まれた木像地蔵菩薩(じぞうぼさつ)立像で国の重要文化財。1185年(文治1)、壇ノ浦の戦いで平氏滅亡してのち、建礼門院(けんれいもんいん)平徳子(とくこ)(清盛(きよもり)の女(むすめ))が隠棲(いんせい)し、高倉(たかくら)天皇と安徳(あんとく)天皇ほか平家一門の冥福(めいふく)を祈った寺。この女院のわび住まいを見舞うため後白河(ごしらかわ)法王が行幸された故事は、『平家物語』灌頂(かんじょう)巻や謡曲の『大原御幸(おはらごこう)』で名高い。また本堂内にある阿波内侍(あわのないし)(建礼門院の侍女)の張り子の像は、平氏一門の書簡でつくられたという。寺はのちに荒廃したが、慶長(けいちょう)年間(1596~1615)豊臣(とよとみ)秀吉の側室淀君(よどぎみ)の本願により片桐且元(かたぎりかつもと)が堂宇を再興した。2000年(平成12)5月火災により本堂を焼失、本尊は焼損した。閑寂な仙境で、背後の山には建礼門院の墓所、大原西陵(にしりょう)がある。[平井俊榮]

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精選版 日本国語大辞典の解説

じゃっこう‐いん ジャククヮウヰン【寂光院】

京都市左京区大原草生町にある天台宗の尼寺。山号は清香山。聖徳太子の開基と伝えられる。平家滅亡後、安徳天皇の母建礼門院平徳子がはいり、高倉天皇、安徳天皇の冥福を祈った。慶長年間(一五九六‐一六一五)豊臣秀頼の母淀君の本願により片桐且元が修造。本尊は六万体腹籠(ふくろう)地蔵尊。

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