日本大百科全書(ニッポニカ) 「堺包丁」の意味・わかりやすい解説
堺包丁
さかいほうちょう
主として江戸時代に泉州堺(大阪府堺市)の重要手工業として発展し、現在も生産されている包丁。その起源については2説ある。第一は、天正(てんしょう)年間(1573~92)に剃刀(かみそり)製造に長じた長兵衛が、豊臣(とよとみ)秀吉の求めで、輸入品であった煙草(たばこ)包丁をつくったことに始まるというものである。第二説は、梅枝七郎右衛門(うめがえしちろうえもん)が刀工から転じて住吉で煙草包丁を製造し、それが砂石をも割ったので石割包丁といわれたという。寛永(かんえい)年間(1624~44)に書かれた『毛吹草(けふきぐさ)』には和泉(いずみ)の特産物として出刃(でば)包丁をあげているが、これは堺包丁のことであろう。これが発展して、1730年(享保15)には31軒の多葉粉庖丁(たばこほうちょう)の株仲間が公認されたが、その後、各地に堺包丁と偽称して堺の極印(ごくいん)をまねする者も現れ、堺はやや衰えるに至った。
[安藤精一]
『『堺市史 第3巻』(1930・堺市)』▽『松江重頼編『毛吹草』(岩波文庫)』